児玉 元保(こだま もとやす)は、戦国時代武将毛利氏の家臣。

 
児玉元保
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文13年8月7日1544年8月25日
別名 通称:左衛門三郎→四郎右衛門尉
官位 越前
主君 毛利興元幸松丸元就
氏族 児玉氏
父母 父:児玉弘家
兄弟 元実元保元為就近就秋
元茂就時
テンプレートを表示

生涯

編集

毛利氏家臣の児玉弘家の次男として生まれる。

永正13年(1516年)2月の宍戸元源との合戦、永正14年(1517年)10月の武田元繁との有田中井手の戦い、天文9年(1540年)6月の安芸国造賀における平賀弘保との合戦で武功を挙げ、それぞれ毛利興元毛利幸松丸毛利元就から感状を与えられた。中でも有田中井手の戦いでは負傷しながらも奮戦した。

天文11年(1542年2月10日雲州衆取手についての費用調達を達成したことで安芸国相合預りの田1町を給地として与えられ、同年7月9日には陶隆房への謝礼の費用調達を達成したことで常末半名1町5段を給地として与えられた。

天文13年(1544年)、出雲国富田において戦死。子の元茂が後を継いだ。

参考文献

編集