兎川寺
長野県松本市にある寺院
兎川寺(とせんじ)は、長野県松本市里山辺にある真言宗智山派の寺院。山号は恵日高照山。本尊は千手観音。信州七福神の寿老人札所。詳しくは恵日高照山兎川霊瑞寺という。
兎川寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 長野県松本市里山辺2940 |
位置 | 北緯36度14分11.6秒 東経138度00分11.4秒 / 北緯36.236556度 東経138.003167度座標: 北緯36度14分11.6秒 東経138度00分11.4秒 / 北緯36.236556度 東経138.003167度 |
山号 | 恵日高照山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | 飛鳥時代(不詳) |
開基 | 聖徳太子(伝) |
正式名 | 恵日高照山 兎川霊瑞寺 |
札所等 |
信州七福神(寿老人) 松本三十三観音3番 信州筑摩三十三カ所観音霊場2番 |
法人番号 | 3100005006062 |
「兎川寺」は当寺院付近の地域名ともなっている。
歴史
編集寺伝によれば今から約1300年前の飛鳥時代、聖徳太子により創建されたと伝わる。中世には天台宗、真言宗合わせて24坊からなる大伽藍があり隆盛を誇った。1332年の北条氏の反逆に対し、全国の天台僧徒が比叡山に集まった際、当寺の天台僧徒もこれに従い、全員が武器を持ち参加したが帰る者は一人もいなかった。このため天台12坊は廃墟と化し、以来真言のみとなった。戦国時代、武田信玄が大兵を持ち小笠原氏の林城を陥れるに及び、小笠原氏の祈願寺となっていた当寺は、暴徒の侵略により仏像をはじめ多くの寺宝が持ち去られた。1618年、時の住職であった憲俊師により、高野山龍光院に所属することとなる。明治時代初期には、戸田光則が全国的にも例を見ない廃仏毀釈を断行したため廃寺となり、その後は兎川学校(後の山辺学校)として利用された。のち壇信徒の篤い信仰により再建された。
伽藍
編集文化財
編集札所
編集アクセス
編集周辺
編集関連項目
編集参考資料
編集- 兎川寺由緒書
- 『探訪 信州の古寺 天台宗・真言宗』1996年 郷土出版社