光式研究機2型
概要
編集1940年(昭和15年)[1]、福田は航空局より発せられた試作命令に従い[1][2]、葉啓聴技師の設計による光式研究機2型を開発した[1][3]。機体は1940年7月に完成し[1]、同年8月5日に大阪第二飛行場にて初飛行した[1][2]。その後も試験飛行を続け[1]、10月13日に行われた上昇試験では上昇限度の計算値を650 m上回る高度3,150 mに達するなど[4]、予想を越える性能を見せた。登録記号は「J-BFHN」[1]。
縦横比が13.75の[1]片持式・低翼配置の[2]逆ガル翼を主翼とする[1][2]「モーター・ソアラー」と形容される機体で[2]、この主翼にはスポイラーも備える。全木製骨組の上に、合板整形と羽布張りが併用されている[1]。エンジンは、TS-1が用いていた[1]スコット製のものを装備するが[1][2]、これは1,250 m以上の高度では不調を見せた[1]。降着装置は覆いを備えた[1]固定脚で[1][2]、外観は軽飛行機に近いものだった[2]。
諸元
編集出典:『日本航空機総集 九州・日立・昭和・日飛・諸社篇』 182頁[1]、『日本グライダー史』 97,226頁[5]。
- 全長:6.95 m
- 全幅:13.00 m
- 全高:1.70 m
- 主翼面積:12.3 m2
- 自重:210 kg
- 全備重量:300 kg
- エンジン:スコット フライング・スクイラル 空冷倒立直列型2衝程式2気筒(最大28 hp) × 1
- 最大速度:125 km/h
- 巡航速度:80 - 90 km/h
- 滑空速度:100 - 110 km/h
- 絶対上昇限度:3,100 m(計算値)
- 航続距離:500 km(計算値)
- 翼面荷重:24.4 kg/m2
- 乗員:1名