元徳皇后
元徳皇后(げんとくこうごう、天福8年(943年) - 太平興国2年3月12日(977年4月3日))は、北宋の太宗の側室。真宗の母で、皇太后として追尊された。姓は李氏。
生涯
編集鎮州真定県の人。乾州防禦使の李英の娘。開宝年間、太祖により晋王趙匡義(後の太宗)に側室として与えられ、隴西郡君に封ぜられた。太宗が即位すると、隴西郡夫人に封ぜられた。美女であり、趙恒(後の真宗)など多くの子供を産んだが、低い身分に置かれた。
太平興国2年(977年)3月、死去した。至道3年(997年)5月、真宗が即位すると、賢妃を追贈された。同年12月、皇太后として追尊された。
子女
編集- 滕国公主(和慶帝姫)
- 邠国公主
- 趙元佐(漢恭憲王)
- 趙恒(真宗)
伝記資料
編集- 『宋会要輯稿』
- 『宋史』元徳皇后伝