傍陽駅

かつて長野県真田町(現:上田市)にあった上田交通の駅

傍陽駅(そえひえき)は、かつて長野県小県郡真田町(現・上田市)に設置されていた上田交通真田傍陽線廃駅)。

傍陽駅
そえひ
SOEHI
曲尾 (0.8 km)
地図
所在地 長野県小県郡真田町傍陽
北緯36度27分13.68秒 東経138度17分30.39秒 / 北緯36.4538000度 東経138.2917750度 / 36.4538000; 138.2917750座標: 北緯36度27分13.68秒 東経138度17分30.39秒 / 北緯36.4538000度 東経138.2917750度 / 36.4538000; 138.2917750
所属事業者 上田交通
所属路線 真田傍陽線(支線)
キロ程 3.1 km(本原起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1928年昭和3年)4月2日
廃止年月日 1972年(昭和47年)2月19日
備考 路線廃止に伴う廃駅
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本原駅から分岐する支線の終着駅であった。

概要

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当初の計画では本線として計画されていた真田傍陽線の支線は、前駅の曲尾駅を過ぎると神川の支流・洗馬川の鉄橋を渡り、終点である当駅に到着した。

当駅は傍陽村(のち傍陽地区、現在は上田市真田町傍陽)の中心部に設置されていたが、本線の終点駅であった真田駅とは違い、大きな観光地は周辺にはなかったためか、上田駅 - 傍陽駅直通という便は少なく、上田駅から傍陽駅へ行くためには、分岐駅であった本原駅で乗り換えるというケースがほとんどだったといわれている。

歴史

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  • 1928年昭和3年)4月2日:上田温泉電軌北東線の本原 - 当駅間開通に伴い開業[1]
  • 1939年(昭和14年)8月30日:上田温泉電軌の社名変更および線名改称に伴い、上田電鉄菅平鹿沢線の駅となる。
  • 1943年(昭和18年)10月21日:会社合併に伴い、上田丸子電鉄の駅となる。
  • 1960年(昭和35年)4月1日:線名改称に伴い、真田傍陽線の駅となる。
  • 1969年(昭和44年)6月1日:上田丸子電鉄の社名変更に伴い、上田交通の駅となる。
  • 1972年(昭和47年)2月20日:真田傍陽線の廃線に伴い廃止。

駅構造

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真田駅と同様、貨物の取扱いが多く、長い単式ホームと貨物側線を保有していた[2]。ホームと駅舎は曲尾側から進行して右側(北東寄り)にあった[2]。また、上田交通になった頃から地元の傍陽農協(現在はJA信州うえだ傍陽支所)の倉庫が当駅の隣に設置され[2]、傍陽地区で取れた野菜が貨車に積まれて上田駅へ向い、そこから東京・大阪方面に輸送されていった。しかし、モータリゼーションの発達によりトラック輸送が主体となり、貨物施設の必要性は失われていった。

当駅は終着駅にふさわしく大きな駅舎を持ち合わせていた。駅舎はモダンな造りで[2]別所線中塩田駅別所温泉駅と似た造りの駅舎だった。別所線の各駅舎は戦後改築されたものだが、傍陽駅の駅舎は戦前からの建築であったものに1953年に改築が行われた。駅舎の隣に貨物用のホームを増設され、さらに電鉄ハイヤーの傍陽営業所の事務所・車庫が併設された。

廃止後の状況

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  • 駅終点の先に設置された農協倉庫(2017年3月)
  • 車止めはこの建物の写真右端の前にあった[2]

駅の廃止後は、上田交通→上電バス→上田バスバス停留所となった。

駅舎はバスの待合所に転用されたが、老朽化が著しく2003年に解体され駅舎跡は更地になり、停留所の場所も長野県道35号長野真田線沿いに移転した。しかし、駅の隣にあった農協倉庫は現在も健在であり、駅跡を示すポイントとなっている。

隣の駅

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上田交通
真田傍陽線(支線)
曲尾駅 - 傍陽駅

脚注

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  1. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報 1928年4月7日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d e 信濃毎日新聞社出版部 編『鉄道写真集 上田丸子電鉄の記憶 丸子線・真田傍陽線・別所線』2022年6月、144 - 147頁。 

関連項目

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