傍陽駅
傍陽駅(そえひえき)は、かつて長野県小県郡真田町(現・上田市)に設置されていた上田交通真田傍陽線の駅(廃駅)。
傍陽駅 | |
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そえひ SOEHI | |
◄曲尾 (0.8 km) | |
所在地 | 長野県小県郡真田町傍陽 |
所属事業者 | 上田交通 |
所属路線 | 真田傍陽線(支線) |
キロ程 | 3.1 km(本原起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)4月2日 |
廃止年月日 | 1972年(昭和47年)2月19日 |
備考 | 路線廃止に伴う廃駅 |
概要
編集当初の計画では本線として計画されていた真田傍陽線の支線は、前駅の曲尾駅を過ぎると神川の支流・洗馬川の鉄橋を渡り、終点である当駅に到着した。
当駅は傍陽村(のち傍陽地区、現在は上田市真田町傍陽)の中心部に設置されていたが、本線の終点駅であった真田駅とは違い、大きな観光地は周辺にはなかったためか、上田駅 - 傍陽駅直通という便は少なく、上田駅から傍陽駅へ行くためには、分岐駅であった本原駅で乗り換えるというケースがほとんどだったといわれている。
歴史
編集駅構造
編集真田駅と同様、貨物の取扱いが多く、長い単式ホームと貨物側線を保有していた[2]。ホームと駅舎は曲尾側から進行して右側(北東寄り)にあった[2]。また、上田交通になった頃から地元の傍陽農協(現在はJA信州うえだ傍陽支所)の倉庫が当駅の隣に設置され[2]、傍陽地区で取れた野菜が貨車に積まれて上田駅へ向い、そこから東京・大阪方面に輸送されていった。しかし、モータリゼーションの発達によりトラック輸送が主体となり、貨物施設の必要性は失われていった。
当駅は終着駅にふさわしく大きな駅舎を持ち合わせていた。駅舎はモダンな造りで[2]、別所線の中塩田駅や別所温泉駅と似た造りの駅舎だった。別所線の各駅舎は戦後改築されたものだが、傍陽駅の駅舎は戦前からの建築であったものに1953年に改築が行われた。駅舎の隣に貨物用のホームを増設され、さらに電鉄ハイヤーの傍陽営業所の事務所・車庫が併設された。
廃止後の状況
編集駅の廃止後は、上田交通→上電バス→上田バスのバス停留所となった。
駅舎はバスの待合所に転用されたが、老朽化が著しく2003年に解体され駅舎跡は更地になり、停留所の場所も長野県道35号長野真田線沿いに移転した。しかし、駅の隣にあった農協倉庫は現在も健在であり、駅跡を示すポイントとなっている。
隣の駅
編集- 上田交通
- 真田傍陽線(支線)
- 曲尾駅 - 傍陽駅