傅晏
生涯
編集綏和2年(紀元前7年)に哀帝が即位すると、傅晏の娘の傅皇后が皇后に立てられ、傅晏は孔郷侯となった[1]。
元寿元年(前2年)正月に後ろ盾の傅昭儀が死去[2]。同月に傅晏は大司馬衛将軍となったが、わずか10日で免ぜられた[3]。元寿2年(前1年)6月に哀帝が死去すると、王莽と王政君が実権を握った。7月に王莽が王政君に出させた詔により、傅晏は傅昭儀とともに弾劾され、孔郷侯を免ぜられ妻子と合浦郡に流された[1]。
脚注
編集史料
編集- 『漢書』外戚伝下
参考文献
編集- 小竹武夫訳『漢書8 : 列伝V』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1998年5月8日。ISBN 978-4-480-08408-8。
- 東晋次『王莽 : 儒家の理想に憑かれた男』白帝社〈白帝社アジア選書3〉、2003年11月4日。ISBN 978-4-89174-635-3。
- 渡邉義浩『王莽 : 改革者の孤独』大修館書店〈あじあブックス74〉、2012年12月20日。ISBN 978-4-469-23269-1。