偰 慶寿(せつ けいじゅ、生没年不詳)は、ウイグル族出身の高麗文官慶州偰氏の始祖偰文質の孫である偰遜の四男。恭愍王のときに文科に及第する[1]。兄の偰長寿は、恭愍王11年に文科に及第、判三司事を務めた[1]。弟の偰眉寿も、恭愍王時代に文科に及第、李氏朝鮮時代に礼曹判書まで登りつめた[1]。子の偰循は、朝鮮の太宗の時代に文科に及第し、世宗の時代に集賢殿副提学を務めた[1]

偰慶寿
各種表記
ハングル 설 경수
漢字 偰 慶壽
日本語読み: せつ けいじゅ
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家族

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脚注

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  1. ^ a b c d 岸本美緒宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 (12)〉、1998年4月1日、16頁。ISBN 4124034121