倉沢 愛子(くらさわ あいこ、1946年7月26日 - )は、日本東南アジア社会史研究者。慶應義塾大学経済学部名誉教授Ph.D.(1988年コーネル大学[要出典])、学術博士(東京大学論文博士・2012年)[1]

人物・来歴

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大阪市生まれ。東京大学在学中から日本占領期のインドネシア史を研究対象とした。その後、インドネシア研究の世界的拠点であるコーネル大学大学院に留学。後に、同大学で博士号を取得。同博士論文は『日本占領下のジャワ農村の変容』として日本で出版され[注釈 1]1992年サントリー学芸賞を受賞した[要出典]。 その後、視点を現代のインドネシア社会に移し、現地での生活とフィールドワークを通じて、開発政策の中で変容していく庶民の地域生活を分析、研究している。

主な科学研究費助成事業の研究課題に「異民族支配におけるコミュニケーション-日本軍占領下の東南アジアの場合-」(1994-1995年[6][注釈 2])、「ジャカルタ南部の都市生成と住民組織原理の社会史に関する調査研究」(2001-2003年[7])、「生活者・商人のライフヒストリーに見るジャカルタの変容に関する調査研究」(2006-2008年[8][注釈 3])、「スハルト後のインドネシアにおけるテレビ放送の「公共性」と商業主義」(2010-2012年[9][注釈 4])。

学歴

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職歴

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著書

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単著

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  • 『日本占領下のジャワ農村の変容』(草思社、1992年)
  • 『二十年目のインドネシア - 日本とアジアの関係を考える』(草思社、1994年)
  • 『女が学者になるとき』(草思社、1998年)
  • 『ジャカルタ路地裏フィールドノート』(中央公論新社、2001年)
  • 『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社現代新書、2002年)
  • 『インドネシアイスラームの覚醒』(洋泉社、2006年)
  • 『戦後日本=インドネシア関係史』(草思社、2011年)
  • 『インドネシアと日本 - 桐島正也回想録』(論創社、2011年)
  • 『資源の戦争 「大東亜共栄圏」の人流・物流 戦争の経験を問う』(岩波書店、2012年)
  • 『9・30 世界を震撼させた日 インドネシア政変の真相と波紋』(岩波現代全書、2014年)
  • 『インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』(中公新書、2020年)
  • 『楽園の島と忘れられたジェノサイド バリに眠る狂気の歴史をめぐって』(千倉書房、2020年)
  • 『南に輝く女王 三輪ヒデ: 国のない女の一代記』(岩波書店、2021年)

編著

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  • 『写真記録東南アジア―歴史・戦争・日本 インドネシア』(ほるぷ出版、1997年)
  • 『東南アジア史のなかの日本占領』(早稲田大学出版部、1997年)
  • 『南方特別留学生が見た戦時下の日本人』(草思社、1997年)
  • 『都市下層の生活構造と移動ネットワーク―ジャカルタ、東京、大阪、サン・クリストバルのフィールドワークによる実証』(明石書店〈慶應義塾大学東アジア研究所叢書〉、2007年)
  • 消費するインドネシア』(慶應義塾大学出版会、2013年)[12]

共編著

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編纂

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  • 復刻版『治官報・Kanpo』ジャワ軍政監部 編(龍渓書舎、1989年)全国書誌番号:9031681、国立国会図書館デジタルコレクション、館内限定、遠隔複写可。NCID BN05721060
  • 大日本軍政部爪哇軍政監部 編『南方軍政関係資料』第1巻-第17巻(複製、竜渓書舎、1990年-1995年)全国書誌番号:93037434、国立国会図書館デジタルコレクション、館内限定、遠隔複写可。doi:10.11501/12734136
    • 第1巻(1990年)は第25軍軍政監部 編『富公報 : 第1号〜第21号 昭和17年11月1日〜18年4月15日』。
    • 第9巻別題は『日本語教科書』。
    • 第14巻(1994年)は『ジャワ軍政規定集 1』。
    • 第17巻(1995年)は同軍政監部の総務部調査室 編『農村実態調査 : ボゴール州ジョクジャ州マラン州』。

翻訳

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  • インドネシア国立文書館 編著『ふたつの紅白旗―インドネシア人が語る日本占領時代』(北野正徳との共訳、木犀社、1996年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 書評は『社会経済史学』[2]、『アジア経済』1994年4月[3][4]、『東南アジア -歴史と文化-』[5]
  2. ^ 成果発表は「東南アジア史のなかの日本占領」(終戦50周年シンポジウム、神奈川県、1995年11月)、国際会議「National Revolution: Memories, studies, reflections」(インドネシア独立50周年シンポジウム、ジャカルタ、1995年年7月)で行われた[6]
  3. ^ 関連論文に倉沢愛子「国家とコミュニティーの狭間で揺れ動くジャカルタのRT/RW-婦人会(PKK)会合の分析を通じて」『ヘスティアとクリオ』第3巻31-51頁(2006年)、倉沢「ポスト開発と国民統合・民主化」『グローバル化とアジア社会』東信堂〈社会学のアクチュアリティ〉第9巻217-261頁(2006年)、『アジア遊学 : 特集・ジャカルタのいまを読む』第90号2006年(内藤「熱気と混沌のバサール」54-65頁)、倉沢「若者とカフェ」212-215頁、倉沢「ジャカルタの路地裏(カンポン)世界」31-41頁)、内藤 「インドネシアにおける日系工業団地と周辺農村との関係」『東海大学紀要文学部』第88巻87-102頁(2008年)、倉沢「東南アジア占領における「ロームシヤ」の意味」『南京事件70周年国際シンポジウムの記録』238-245頁(2009年)。
  4. ^ 成果は『消費するインドネシア』(慶應義塾大学出版会2013年)にまとめた[10]。関連論文に社団法人日本新聞協会『日本新聞年鑑』2010/11版(2010年。内藤 耕「『インドネシア、マレーシア』のマスコミ事情」94頁-、内藤「インドネシアとマレーシア」97頁-)、内藤「インドネシアとマレーシア」『日本新聞年鑑』2011/12版97頁、倉沢愛子「台頭するインドネシアの新中間層とイスラーム」『グローバル化と変容するアジア』113-149頁(アジア大学アジア研究所2011年)、倉沢「インドネシア9・30事件と社会暴力」『東アジア現代史通史』171-193頁(〈岩波講座 第8巻〉2012年)、内藤 耕「インドネシア・マレーシア」『日本新聞年鑑』2013年版95頁-(2012年)。

出典

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  1. ^ 倉沢 愛子『戦後日本=インドネシア関係史』東京大学、2012年。 NAID 500000567866。乙第17622号、博士(学術)。 
  2. ^ 土屋 健治「倉沢愛子著, 『日本占領下のジャワ農村の変容』, 草思社、一九九二年六月、七一四+一頁、八〇〇〇円」『社会経済史学』第59巻第2号、社会経済史学会、1993年、335-338頁、doi:10.20624/sehs.59.2_335ISSN 0038-0113 、CRID: 1390001205099775232
  3. ^ 加納 啓良「倉沢愛子著『日本占領下のジャワ農村の変容』」『アジア経済』第35巻第4号、アジア経済研究所、1994年4月、65-68頁、ISSN 0002-2942 CRID : 1050001339134024576
  4. ^ 加納 啓良「「日本占領下のジャワ農村の変容」倉沢愛子」『アジア経済』第35巻第4号、日本貿易振興機構アジア経済研究所学術情報センター、1994年4月、65-68頁、ISSN 0002-2942、CRID : 1520572357052796288 掲載誌別題『Quarterly journal of Institute of Developing Economies』。
  5. ^ 蔡 史君「倉沢愛子著『日本占領下のジャワ農村の変容』」『東南アジア -歴史と文化-』第1994巻第23号、東南アジア学会、1994年6月1日、63-81頁、doi:10.5512/sea.1994.63ISSN 0386-9040、CRID :1390282680314497920 に掲載。
  6. ^ a b 異民族支配におけるコミュニケーション-日本軍占領下の東南アジアの場合-”. KAKEN. 文部科学省. 2023年4月28日閲覧。
  7. ^ ジャカルタ南部の都市生成と住民組織原理の社会史に関する調査研究”. KAKEN. 2023年4月28日閲覧。
  8. ^ 生活者・商人のライフヒストリーに見るジャカルタの変容に関する調査研究”. KAKEN. 2023年4月28日閲覧。
  9. ^ スハルト後のインドネシアにおけるテレビ放送の「公共性」と商業主義”. KAKEN. 2023年4月28日閲覧。
  10. ^ 『消費するインドネシア』ISBN 9784766420159
  11. ^ 「開発体制下のインドネシアにおける新中間層の台頭と国民統合 (〈特集〉インドネシア国民の形成 : 故土屋健治教授を偲んで)」『東南アジア研究』第34巻第1号、100-126頁、1996年6月。HANDLE。
  12. ^ 福武 慎太郎「(新刊書紹介)倉沢愛子編『消費するインドネシア』」『東南アジア--歴史と文化』第46巻、2017年、68-72頁。  CRID :1010000782246725123

外部リンク

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