倉林公任
倉林 公任(くらばやし きみひで[1]、1886年(明治19年)12月30日[2] - 1969年(昭和44年)2月13日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[1]。
倉林 公任 | |
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生誕 |
1886年12月30日 日本 東京府 |
死没 | 1969年2月13日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1886年(明治19年)に東京府で生まれた[2]。陸軍士官学校第22期卒業[2]。1937年(昭和12年)4月7日に歩兵第30連隊留守隊長に就任し[1]、8月2日に陸軍歩兵大佐に進級した[1]。9月20日に歩兵第58連隊長(上海派遣軍・第13師団・歩兵第26旅団)に転じ[1]、上海に増援として派遣され[2]、南京攻略戦、徐州会戦、武漢攻略戦を連戦した[2]。1939年(昭和14年)8月に広島連隊区司令官に転じた[1]。
1941年(昭和16年)3月1日に陸軍少将に進級し[1]、第4国境守備隊長に着任[2]。1942年(昭和17年)12月に第34歩兵団長(第11軍・第34師団)となり[2]、南昌を根拠地とし[2]、敵軍との攻防戦を繰り広げた[2]。1943年(昭和18年)6月に留守第54師団兵務部長に転じ[2]、長野師管区兵務部長を経て[3]、1945年(昭和20年)7月5日に待命[3]、7月6日に予備役に編入された[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。