依田駅 (北海道)

かつて日本の北海道幕別町字依田にあった日本国有鉄道広尾線の駅 (廃駅)

依田駅(よだえき)は、北海道十勝支庁中川郡幕別町字依田にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)広尾線廃駅)である。事務管理コードは▲111501[2]

依田駅
よだ
Yoda
帯広 (4.1 km)
(2.6 km) 北愛国
所在地 北海道中川郡幕別町字依田
北緯42度53分36秒 東経143度13分37秒 / 北緯42.89333度 東経143.22694度 / 42.89333; 143.22694座標: 北緯42度53分36秒 東経143度13分37秒 / 北緯42.89333度 東経143.22694度 / 42.89333; 143.22694
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 広尾線
キロ程 4.1 km(帯広起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度-
3人/日
-1981年-
開業年月日 1957年昭和32年)12月25日[1]
廃止年月日 1987年(昭和62年)2月2日[1]
備考 広尾線廃線に伴い廃駅
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1977年の依田駅と周囲約500m範囲。下が広尾方面。帯広駅から真っ直ぐ札内川を渡ると、ほぼ90°に近いカーブを描いて、南南西へと向かう。駅の周囲は平坦な畑作地帯で、農家が点在する。北側に南八線の踏切があり、待合室は見当たらない。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史

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地元の要望・費用負担によって設置された請願駅であった[広報 1]

  • 1957年(昭和32年)12月25日 - 国有鉄道広尾線依田駅として開業[3][広報 1]。旅客のみ取り扱い[1]
  • 1987年(昭和62年)2月2日 - 広尾線の全線廃止に伴い、廃駅となる[広報 1]
    • 廃止時点で一部の普通列車は通過していた(1986年(昭和61年)11月1日改定の時刻(廃止時の時刻表)で、朝一番の下り列車、及び最終の上り列車[4])。

駅名の由来

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所在地名より。明治期に当地を開拓した晩成社のリーダー、依田勉三名字に由来する[3][広報 1]

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(広尾方面に向かって左手側)に存在した。また、転轍機を持たない棒線駅となっていた[3]

開業時からの無人駅で、駅舎及び待合所は存在しなかった。上屋などもなかったが、ベンチのみ設置されていた[3]

利用状況

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1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は3人[3]

駅周辺

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周囲は作地帯である[3]

バス路線

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十勝バスが運行する代替バスは道路事情の関係で帯広 - 依田 - 北愛国 - 愛国の別系統が設定されたが、路線統合を経て2003年(平成15年)9月をもって廃止されている。現在は一般客も乗車できるスクールバスが「依田近隣センター前」に停車する。

駅跡

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現在、駅跡地に遺構は残っておらず、畑と化している。

隣の駅

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日本国有鉄道
広尾線
帯広駅 - 依田駅 - 北愛国駅

脚注

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  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、890頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、236頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)138ページより。
  4. ^ 書籍『廃線終着駅を訊ねる 国鉄・JR編』(著:三宅俊彦JTBパブリッシング2010年4月発行)33ページより。
  5. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)13ページより。

広報

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  1. ^ a b c d 幕別町 (March 1987). 広報まくべつ昭和62年3月 No.422 (pdf) (Report). p. 10.

関連項目

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