使匈奴中郎将(しきょうどちゅうろうじょう)は、中国の後漢の官職名。西河郡美稷県に駐屯し、おもに南単于を護衛するために置かれた。秩禄比二千石で節を持つ。属官は従事二人。有事の際はその度に増員された。
建武26年(50年)1月、光武帝は中郎将の段郴を遣わし南単于の璽綬を授け、令を下し雲中郡に入居させ、使匈奴中郎将を置いた。
ちなみに桓帝~霊帝期に任官した張奐・王柔の官名と、魏の太和5年(231年)にふたたび置かれた官名は護匈奴中郎将となっている。