佳日
太宰治の小説
概要
編集初出 | 『改造』1944年1月号 |
---|---|
単行本 | 『佳日』(肇書房、1944年8月20日) |
執筆時期 | 1943年6月~7月上旬(推定)[1] |
原稿用紙 | 40枚 |
1943年(昭和18年)4月29日、太宰の友人の塩月赳(しおつき たけし)の結婚式が目黒雅叙園で行われた[2]。太宰は身内代わりとなって結納を納め、式の打ち合わせを行うなど塩月のために種々尽力した。「佳日」はこのときの体験を素材にして書かれた。なお、塩月は1948年(昭和23年)3月17日にこの世を去っている[3]。
結婚式に出席した山岸外史は、後年次のように記している[4]。
この作品は、ほとんどが事実そのまゝの作品で、人物もよくつかまれており、正確にえがかれている。(中略) 太宰の友人を大切にしている状況が手にとるようにみえる。こんども読みかえしながら、友人に誠実であつた太宰を、もう一度、なつかしく思いだしたほどである。大隅忠太郎というのは、本名はSという男で、僕たちに共通の友人だから、彼の頭の禿げかゝつていることや、言動まで、じつに巧妙に正確に写しだされていることがわかるのである。瀬川教授は、多少、脚色されているが、これは、井伏鱒二氏である。
本作品は後述するように1944年(昭和19年)9月に映画化され、12月上旬には水谷八重子一座によって映画と同じ題名の「四つの結婚」で上演された。
あらすじ
編集この節の加筆が望まれています。 |
四つの結婚(映画)
編集1944年9月28日公開の日本映画。製作は東宝。太宰は同年1月10日から13日まで、熱海の山王ホテルで八木隆一郎、如月敏と共に脚色に当たっている[1]。