佐須の禅寺丸古木
佐須の禅寺丸古木(さずのぜんじまるこぼく)は、東京都調布市佐須町に生育するカキノキの巨木である[1][2][3]。この木は「禅寺丸」(ぜんじまる)という甘柿の品種で、推定の樹齢は約380年とされる[4]。この品種における巨大な木の一例として、1964年(昭和39年)に東京都の天然記念物に指定された[1][3]。
由来
編集この木が生育する調布市佐須町は、かつて農村地帯であった[3]。多摩川の支流野川沿いに田畑が広がり、農家の庭先にはカキノキがよく見られていた[3]。カキノキは甘柿を食用にする他にも、渋柿を干し柿に加工したり染料や防水用に利用したり、材を建築用などに使うなど利用範囲の広い植物である[3]。
品種は「禅寺丸」という甘柿の1種に属する[1][3][2]。禅寺丸は、神奈川県川崎市麻生区王禅寺が原産地とされるもので、同区王禅寺940所在の真言宗寺院・王禅寺の木を原木とし、日本最古の甘柿といわれる[4][5][6][7]。王禅寺の原木は、2007年(平成19年)7月26日に国の登録記念物に登録されている[8]。
伝承によれば、その起源は鎌倉時代にまでさかのぼる[2][5][6]。1214年(建保2年)、等海という僧侶が王禅寺の本堂再建の材木を探して山中に入り、これを発見した[注釈 1][1][5][6]。等海はその実が大変に美味であったために、木を持ち帰って寺の境内に移植したという[1][5][6][7]。
禅寺丸という品種は「不完全甘柿」(種が十分に入ると甘くなる)といわれるもので、果実は小さく4センチメートル程度に育ち重さは100-120グラムほどである[5][9][10]。江戸時代から多摩川両岸や武蔵野地域の農村地帯に栽培が広がり、明治・大正の頃まで主要品種として盛んに栽培された[3][6][10]。やがて主要品種の座を降り、富有柿の受粉樹として利用されるようになった[10]。
多摩や武蔵野の旧家には、庭先に禅寺丸の古木が残っているのが時折見受けられる[2][7][11][12]。佐須町にあるこの木は推定の樹齢約380年とされ、カキノキの古木としては大きいものの1つである[1][4]。樹高は約12.0メートル、主幹は幹周り約1.9メートルを測る[3]。樹勢は盛んで毎年多くの実をつけているが、2007年(平成19年)に台風の被害に遭って大枝が折損した[1][4]。そのため所有者は、支柱を立ててこの木を保護している[4]。この木は1964年(昭和39年)4月28日に、東京都の天然記念物に指定された[1][3][2]。
交通アクセス
編集- 所在地
- 交通
脚注
編集注釈
編集- ^ 川崎市教育委員会による国の登録記念物「禅寺丸柿」の説明では、等海が王禅寺の再建のために山中に入った年を1370年(応安3年)としているが、禅寺丸柿の発見自体は1214年(建保2年)説を採っている[7]。東京都文化財情報データベースも、等海による発見を1370年(応安3年)のことと記述している[3]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i 『東京都の文化財3 無形文化財・民俗文化財・名勝・天然記念物』、103頁。
- ^ a b c d e “佐須(さず)の禅寺丸(ぜんじまる)古木”. 調布市. 2015年9月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “佐須の禅寺丸古木”. 東京都文化財情報データベース. 2015年9月12日閲覧。
- ^ a b c d e “都天然記念物「佐須の禅寺丸古木」、実りの秋迎え一般公開”. 調布経済新聞 (2008年11月6日). 2015年9月12日閲覧。
- ^ a b c d e 久保、37-38頁。
- ^ a b c d e 出町、20-22頁。
- ^ a b c d “禅寺丸柿”. 川崎市教育委員会. 2015年9月12日閲覧。
- ^ “禅寺丸柿”. 川崎市教育委員会 (2018年7月20日). 2021年11月13日閲覧。
- ^ 出町、10-11頁。
- ^ a b c 出町、14頁。
- ^ “山野の禅寺丸(ぜんじまる)古木”. 調布市. 2015年9月12日閲覧。
- ^ a b c “東京文化財ウィーク2014 通年公開編” (PDF). 2015年4月26日閲覧。
参考文献
編集関連項目
編集- 麻生区#概要 - 禅寺丸柿が発見された王禅寺地区があり、柿生村の地名の由来となった
- 東京都指定文化財一覧
外部リンク
編集座標: 北緯35度39分37.44秒 東経139度33分6.82秒 / 北緯35.6604000度 東経139.5518944度