佐野山城
佐野山城跡は千曲市桑原の佐野地籍にある山城である。桑原氏の築城と伝承されている。四宮荘の地頭であった赤沢氏の配下の桑原氏が猿が馬場峠越えの要衝を抑える小坂城を構え、街道の押さえとして築いたものと考えられている。(「もっと知りたいふるさと」ー千曲市公民官報)
天文22年(1553年)武田信玄の村上義清攻略の際に当城の塩崎氏は千曲川対岸の屋代氏と共に真田幸綱の調略に応じて武田側に寝返ったため当城は武田氏に帰属。
天正12年(1584年)天正壬午の乱後は上杉景勝に帰属していた屋代秀正は徳川方に寝返り塩崎六郎次郎や室賀満俊が同調して荒砥城と当城に籠城。しかし8日後に両城は上杉軍に攻められて自落。塩崎氏は麻績に逃れ、屋代氏は虚空山城に移って凌ぎ徳川氏の旗本となる。
天正壬午の乱後の上杉氏と小笠原氏との攻防戦でもこの城は重要な役割を担っていたものと考えられている。また、上杉氏の会津移封後は廃城となったものと考えられる。