佐賀県立小城高等学校
佐賀県小城市にある高等学校
佐賀県立小城高等学校(さがけんりつおぎこうとうがっこう, 英: Saga Prefectural Ogi High School)は、佐賀県小城市小城町に所在する県立高等学校。略称は「小城高(おぎこう)」。別名「黄城(おうじょう)」[1]。
佐賀県立小城高等学校 | |
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北緯33度17分32.6秒 東経130度11分49.2秒 / 北緯33.292389度 東経130.197000度座標: 北緯33度17分32.6秒 東経130度11分49.2秒 / 北緯33.292389度 東経130.197000度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐賀県 |
学区 | 東部学区 |
併合学校 |
佐賀県立小城中学校 佐賀県立小城高等女学校 |
校訓 | 創意・挑戦・誠実 |
設立年月日 | 1899年(明治32年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D141290000072 |
高校コード | 41108G |
所在地 | 〒845-0001 |
佐賀県小城市小城町176 | |
外部リンク | 佐賀県立小城高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
設置学科
編集概要
編集- 歴史
- 1899年(明治32年)に創立した「旧制佐賀県立小城中学校」(男子校)と1908年(明治41年)に創立した「佐賀県立小城高等女学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革で統合され、「佐賀県立小城高等学校」(新制高等学校)となった。創立年は旧制・小城中学校の創立年1899年(明治32年)をもとに数えられており、2009年(平成21年)に創立110周年、2019年(平成31年)に創立120周年を迎えた。
- 校訓
- 「創意」 (Originality)
- 「挑戦」 (Great Challenge)
- 「誠実」 (Integrity)
- それぞれの英語の頭文字を合わせると「OGI」(小城)となる。
- スクールアイデンティティー
- 「オンリーワンを見つけ、育てる小城高校」
- 旧制・小城中学校 - 桜の花を背景に「中」の文字を配している。
- 小城高等女学校 - 二重丸の中に桜の花を置き、「小城」の文字(縦書き)を配している。
- 校歌
- 作詞は林学水、作曲は信時潔による。1950年(昭和25年)3月に制定。歌詞は3番まであり、3番に学校名を表す「黄城」が登場する。同窓会のウェブサイトで下記の旧校歌とともに、歌詞が閲覧できる[3]。
- 旧校歌
- 旧制・小城中学校 - タイトルは「窓べに仰ぐ天山の」。作詞は小城中学校、校閲は佐々木信綱、作曲は弘田竜太郎による。1939年(昭和14年)5月に制定。歌詞は4番まである。
- 小城高等女学校 - タイトルは「天山のみ山たふとみ」。作詞は森鷹一、作曲は保田正による。1937年(昭和12年)12月に制定。歌詞は3番まである。
- 他の歌
- 「應援(応援)歌」 - 3番まであり、各番とも「いざ闘わん小城高 かがやく小城高」で終わる。
- 「精鋭歌」 - 2番まであり、両番とも「我らが精鋭小城高健児」で終わる。
- 「必勝の踊り」 - 2番まであり、両番とも「勝つ勝つ小城高きっと勝つ」で終わる。
- 「小城高音頭(エッサッサー)」 - 3番まであり、各番とも「サノエ〜サノエ〜サノエッサッサ〜」で終わる。
- 校地
- 校地面積は6万km2で、佐賀県立の高等学校の中で2番目の広さである[4]。
- 同窓会
- 学校の別名にちなみ、「黄城会」と称する。
沿革
編集- 旧制中学校(男子校)
- 1899年(明治32年)4月1日 - 「佐賀県立第一中学校小城分校」として創立。(創立年)入学者数は102名。小城町役場の一部を間借りし、授業を開始。
- 1900年(明治33年)4月 - 小城町・岩松村・晴田村・三里村の寄付で、旧小城藩主邸跡(現在地)に校舎の一部が完成し移転。
- 1901年(明治34年)6月- 「佐賀県立佐賀中学校[5]小城分校」と改称。
- 1902年(明治35年)
- 4月1日 - 佐賀中学校から独立し、「佐賀県立小城中学校」(旧制)と改称。
- 6月 - 初代校長に瀬川彦四郎が就任。校章(桜の花に「中」の文字)を制定。
- 1905年(明治38年)8月 - 同窓会組織「黄城会」が結成。
- 1939年(昭和14年)5月 - 校歌「窓べに仰ぐ天山の」を制定。
- 高等女学校
- 1908年(明治41年)1月4日 - 「小城町四ヵ村組合立小城女学校」が開校。修業年限を本科2年、別科1年、研究科1年とする。初代校長には五郎川一郎が就任。
- 1914年(大正3年)4月 - 「小城町外五ヵ村学校組合立小城実科女学校」と改称。
- 1919年(大正8年)- 「小城町外六ヵ村学校組合立小城実科女学校」と改称。
- 1921年(大正10年)4月 - 「組合立小城高等女学校」と改称。
- 1924年(大正13年)4月 - 移管により、「佐賀県立小城高等女学校」と改称。
- 1937年(昭和12年)12月 - 校歌「天山のみ山たふとみ」を制定。
- 1938年(昭和13年)8月 - 「樟彰館」(同窓会館)が完成。
- 1939年(昭和14年)7月 - 創立25周年を記念し、茶園(4反歩)を二瀬川に造成。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革に伴い、旧制・小城中学校と小城高等女学校を統合し、「佐賀県立小城高等学校」(現校名、新制高等学校)が開校。
- 旧制・中学校を第一部、旧高等女学校を第二部と称し、当初は男女別学を行う。生徒定員は全日制普通課程を1,200名、定時制普通課程を100名とする。
- 1949年(昭和24年)4月 - 2部制(男女別学)を廃止し、全面的に統合。男女共学となる。
- 1950年(昭和25年)3月 - 校歌を制定。
- 1953年(昭和28年)- 牛津分校(定時制)を開校。(入学者数1,660名)
- 1954年(昭和29年)- 多久分校(定時制)[6]を開校。(入学者数1,910名)
- 1957年(昭和32年)4月 - 本校定時制の家庭課程の生徒募集を停止し、全日制家庭課程の募集人員を90名とする。
- 1963年(昭和38年)4月 - 牛津分校が佐賀県立牛津高等学校として分離・独立。
- 1964年(昭和39年)4月 - 家庭科の生徒募集を停止し、普通科のみとなる。
- 1965年(昭和40年)9月 - 体育館が完成。
- 1966年(昭和41年)3月1日 - 多久分校を閉校する。
- 1967年(昭和42年)3月 - 武道館が完成。
- 1967年(昭和42年)9月9日 - 柔道部員6名が、1年生部員1名に殴る蹴るなどの暴行を加え、顔面挫傷、脳震盪等を負わせた傷害事件が発生[7]。
- 1969年(昭和44年)3月28日 - 図書館が完成。
- 1972年(昭和47年)3月31日 - プール(50m・9コース)が完成。
- 1988年(昭和63年)- 本校の定時制を閉校する。
- 1989年(平成元年)9月 - 黄城教育会館が完成。「樟彰館」(同窓会館)を解体。
- 1993年(平成5年)4月 - 制服改定。この時の入学生より森英恵デザインの新制服を着用。
- 1994年(平成6年)3月 - 旧多久分校校舎(市消防庁舎)を解体。
- 1998年(平成10年)7月 - 英国ラグビー校研修派遣を開始。
- 1999年(平成11年)
- 5月 - 校訓碑が完成。
- 10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 2001年(平成13年)2月 - 推薦入試を開始。
- 3月-図書館ギャラリー整備
- 2002年(平成14年)- 文部科学省・佐賀県教育委員会指定 高等学校「教育課程」研究校委嘱
- 5月- 教育棟空調設備完備
- 2003年(平成15年) 4月 - 生徒定員920名
- 2004年(平成16年) 4月 - 生徒定員880名
- 2005年(平成17年) 4月 - 生徒定員840名
- 2007年(平成19年) 4月 - 生徒定員800名
- 2008年(平成20年) 4月 - 生徒定員760名
- 2009年(平成21年) 1月9日 - ユニバーサルデザイン化工事
- 3月6日 - [管理棟・図書館棟耐震改修工事
- 4月1日 - 生徒定員720名
- 10月 - 創立110周年記念式典
- 2012年(平成24年)3月 - 体育館耐震改修工事
- 2013年(平成25年)3月 - 芸術棟耐震改修工事
- 2015年(平成27年)9月 - 教室棟改築工事
- 2019年(平成31年)4月 - 生徒定員680名
- 2020年 (令和2年)4月 - 生徒定員640名
- 2021年 (令和3年)4月 - 生徒定員600名予定
年間行事
編集- 1学期
- 4月 - 始業式、入学式、開校記念天山登山
- 5月 - 黄城会総会、中間考査
- 6月 - 高校総体、期末考査
- 7月 - クラスマッチ、三者面談、終業式、夏季特課(補習)
- 8月前半 - 夏期特課(補習)、体験入学
- 2学期
- 8月後半 - 始業式
- 9月 - 小城高祭(体育祭・文化祭)
- 10月 - オンリーワン発表会、中間考査
- 11月 - 期末考査
- 12月 - クラスマッチ、三者面談、終業式、冬季特課(補習)
- 3学期
部活動
編集- 運動部
- 柔道部
- 剣道部
- 弓道部
- 陸上部
- バドミントン部
- テニス部
- ソフトテニス部
- 野球部 - 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)・選抜高等学校野球大会(春のセンバツ)に出場経験がある。
- 卓球部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- サッカー部
- 文化部
著名な出身者
編集- 政財界
- 吉村久夫(元日経BP社会長、東京佐賀県人会会長)
- 原口忠次郎(元神戸市長、工学博士 ポートアイランド構想、着工)
- 横尾俊彦(多久市長)
- 江里口秀次(小城市長)
- 渕上綾子(北海道議会議員、トランスジェンダー)
- 宮副新一(元佐賀共栄銀行頭取)
- 田中季雄(元住友軽金属初代社長)
- 田中丸善蔵 (玉屋デパート創始者)
- 坂井秀明(佐賀銀行頭取)
- 南里隆(佐賀県副知事)
- 教育
- 宗内敦(都留文科大学名誉教授)
- 角田政芳(東海大学法科大学院教授)
- 岩野茂道(元熊本学園大学学長)
- 瀬戸秀幸(防衛大学校システム工学群機械システム工学科教授,工学博士(東大),メガフロート,戦艦大和等研究)
- 下野昇(山梨大学名誉教授、日本テノールの草分け的存在)
- 末永敏和(大阪大学法学部教授、法学博士)
- 堤啓次郎(西南学院大学名誉教授)
- 野澤健(立命館大学教授)
- その他
- 土井敏邦(フリージャーナリスト)
- 吉田宗雄(海軍中佐 駆逐艦呉竹艦長)
- おほしんたろう(お笑い芸人 ワタナベエンターテインメント九州事業本部所属)
- 安河内将(競艇選手。甲子園出場を経験。元アマチュア野球選手)
- 牛丸義留(元厚生事務次官)
- 福地経人(元プロ野球選手。近鉄バファローズ、福岡ソフトバンクホークス管理部長)
- 川頭秀人(元プロ野球選手。福岡ソフトバンクホークス)
- 永井隆幸(サガン鳥栖強化部長)
- 福地周夫 (海軍大佐、海軍くろしお物語、続海軍くろしお物語著者)
- 太田敏彦(元プロ野球選手。読売ジャイアンツ)
- 松尾栄蔵(弁護士、TMI総合法律事務所パートナー)
- 香田清貞(陸軍大尉、二・二六事件決起将校)
- 黒岩勇(海軍少尉、五・一五事件決起将校)
- 村山格之(海軍少尉、五・一五事件決起将校)
- 中野良次(陸軍中将、関東軍参謀)
- 須賀野チイ(彫刻家)
- 香田雅隆(小樽観光協会事務局長、ニトリツアー創業者)
- 寺崎邦朗(佐賀県剣道連盟理事長、剣道界最高位 範士)
- 田久保諭(琉球放送アナウンサー)
- 倉本彩(熊本県民テレビアナウンサー)
舞台となった作品
編集アクセス
編集- 最寄りの駅
- 最寄りのバス停
- 昭和自動車 小城発着所
- 最寄りの道路
- 国道203号
- 佐賀県道42号小城牛津線
- 「小城町下町」交差点
周辺
編集脚注
編集- ^ 佐賀県内には他に、「栄城」(佐賀西高)、「鹿城」(鹿島高)、「鶴城」(唐津東高)があり、県内の伝統校のひとつである。
- ^ 桜が使われているのは、時の小城藩藩主鍋島元茂が鯖岡と呼ばれた小丘に桜を植樹したことに由来している。桜の植えられた場所は整備され、現在「小城公園」となっている。
- ^ 校歌 - 小城高等学校同窓会「黄城会」ウェブサイト
- ^ 教育方針 - 小城高等学校ウェブサイト
- ^ 佐賀県立佐賀西高等学校・佐賀県立佐賀東高等学校、佐賀県立佐賀北高等学校の源流。
- ^ 多久分校は現在の多久郵便局の裏手にあった。
- ^ 文部省体育局体育課内法令研究会, ed (1973-1-30). 体育スポーツ要覧 判例1. ぎょうせい. p. 867
- ^ 『全国映画ドラマロケ地事典』p322 日外アソシエーツ編集(2011年)全国書誌番号:21946393