坂ノ市町
日本の大分県北海部郡にあった町
(佐賀市村から転送)
坂ノ市町(さかのいちまち)は、かつて大分県北海部郡にあった町。
さかのいちまち 坂ノ市町 | |
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廃止日 | 1963年3月10日 |
廃止理由 |
新設合併 大分市、鶴崎市、大分郡大分町、大南町、北海部郡大在村、坂ノ市町 → 大分市 |
現在の自治体 | 大分市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 大分県 |
郡 | 北海部郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 鶴崎市、臼杵市、北海部郡大在村、佐賀関町 |
坂ノ市町役場 | |
所在地 | 大分県北海部郡坂ノ市町 |
座標 | 北緯33度13分51秒 東経131度45分06秒 / 北緯33.23083度 東経131.75172度座標: 北緯33度13分51秒 東経131度45分06秒 / 北緯33.23083度 東経131.75172度 |
ウィキプロジェクト |
1963年3月10日に、旧大分市をはじめとする2市3町1村で新設合併し、新たに大分市となった。現在の坂ノ市地区にあたり、旧坂ノ市町役場のあった場所には、現在、大分市役所の坂ノ市支所が置かれている。
歴史
編集古代には海部郡佐加郷、丹生郷および佐尉郷の一部であった。なお、当時の佐加郷は現在の佐賀関等を含む広い地域であったと考えられている。佐加郷は中世には佐賀郷となった。
明治期、現在の坂ノ市地区を表す地域名としては「坂之市」が使用されており、「坂ノ市」という表記は、市村の字であった[1]。明治末期に佐賀村、市村の合併によって佐賀市村が誕生したが、この時期に設置された駅の名前が「坂ノ市駅」となったことから、「坂之市」に代わり「坂ノ市」が地域名としての役割も担うようになり、町名へ採用されるに至ったと考えられる。
行政区域の変遷
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、佐加村、市村、丹生村、小佐井村が成立。
- 1892年(明治25年)10月28日 - 佐加村が佐賀村に改称[2]。
- 1907年(明治40年)7月1日 - 佐賀村、市村が合併し、佐賀市村が発足[3]。
- 1920年(大正9年)1月1日 - 佐賀市村が町制施行・改称し坂ノ市町となる[4]。
- 1941年(昭和16年)11月3日 - 坂ノ市町、小佐井村、丹生村が合併し、新坂ノ市町が発足[5]。
- 1963年(昭和38年)3月10日 - 坂ノ市町が大分市、鶴崎市、大分郡大分町、大南町、北海部郡大在村と合併し、新大分市が発足。
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
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1 | 荻本福一 | |||
2 | 杉崎幸太郎 |
交通
編集鉄道
編集バス
編集- 国鉄バス坂ノ市線(車庫は坂ノ市町役場敷地内)
産業
編集窯業
編集官公庁
編集企業
編集教育
編集人物
編集学術
編集- 伊東九一郎 - 日本皇道会創設者。
参考文献
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ 市村 役場位置 - 『大分県町村現況一覧』大分県 1894年11月(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『官報』1892年10月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 町村合併並役場位置 - 『官報』1907年07月04日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『官報』1919年12月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 町村廃置『官報』1941年10月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 日本書房編『日本地名大辞典 第4巻』1938年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ お気に入りの赤瓦探検帳(P.25) - 中国地方整備局.2023年12月12日閲覧
- ^ a b c d e f g h i 日本自治協会 編『市町村治績録』1929年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 逓信省告示第1710号 - 『官報』1921年09月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 坂ノ市貯金銀行 - 『大分県実業案内』大分通信社 1920年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 大分区裁判所坂之市出張所 - 『官報』1921年09月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 大分区裁判所坂之市出張所 - 『官報』1926年11月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 佐伯区裁判所 - 『官報』1931年06月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 大分区裁判所坂之市出張所 - 『官報』1921年09月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)