佐藤貞子
概要
編集民謡「秋田おばこ」の生みの親として知られている。「秋田おばこの女王」とも[1]、江戸時代初期にかぶき踊りで全国巡業した出雲の阿国になぞらえ「秋田の阿国」とも呼ばれた[2]。「秋田おばこ」、「秋田甚句」などを収めたレコードは戦前としては「驚異的」とされる60万枚のヒットを記録した[1]。
来歴
編集生い立ち
編集1886年(明治19年)、秋田県仙北郡神代村(現・仙北市)に生まれる[2]。笛の名人であった父の影響で民謡をはじめ、幼いころより歌の上手さは近隣に知れ渡り、地元の祭のスターであった。1922年(大正11年)、東京上野で開催された平和博覧会に出演[1]。「おばこ節」を歌い全国芸能競演会で1位となった[1]。この「おばこ節」に秋田を付けて「秋田おばこ」とした[2]。
全国巡業
編集興行師・丸玉の誘いで「秋田おばこ佐藤貞子一座」を結成し、昭和初期に南は九州から北は樺太まで全国巡業をし人気を博す(若き日の浅野梅若も一座に参加していた)。
登場する作品
編集放送
編集参考文献
編集- 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'95』コーケン出版、1995。p.221