佐藤義夫 (放送実業家)

日本の実業家

佐藤 義夫(さとう よしお、1899年3月13日 - 1961年7月29日)は、日本の実業家中部日本放送社長を務めた。現在の岩手県奥州市(旧江刺市域)出身。

経歴・人物

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1922年慶應義塾大学を卒業し[1]星製薬時事新報社での勤務を経て、1935年に岩手日報社専務に就任する[1][注釈 1]。その後、1942年中日新聞社の前身である新愛知新聞社に入社し、取締役と常務を歴任した[1]

1950年に中部日本放送の専務に就任し、副社長を経て、1959年11月から社長に就任した[1]

1961年7月29日社長在職中に心筋梗塞で死去[1][3]。62歳没。

脚注

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注釈

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  1. ^ この当時の岩手日報社は、現在の岩手日報を発行している企業とは別法人である(1938年に旧岩手日報社の社内紛争で解雇された従業員が新たに起こした企業が現在の岩手日報社となる[2]。)

出典

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  1. ^ a b c d e 中部日本放送 50年のあゆみ p110
  2. ^ 小川功機関銀行と機関新聞 : 近江商人進出地・盛岡の金融破綻」『彦根論叢』第326号、滋賀大学経済学会、2000年、1-20頁、ISSN 03875989NAID 110000314669 
  3. ^ 1961年 7月30日 読売新聞 朝刊 p11