佐藤章蔵
佐藤 章蔵(さとう しょうぞう、1907年〈明治40年〉[1] - 1981年〈昭和56年〉7月12日[2])は日本の工業デザイナー。東京都出身[1]。若い頃から自動車の造形美に魅せられ、第二次世界大戦前から東京の街頭で多くの名車・珍車を撮影していた。
人物
編集1937年(昭和12年)に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業[3]し、日産自動車に入社。1954年(昭和29年)に同社初代造形課課長となり、ダットサン・110/210型系(1955年発表)及びその後継車である初代ブルーバード(310型系、1959年発表)をデザインした。1956年(昭和31年)には110型の改良型である112型のデザインで毎日デザイン賞を受賞する。両車のデザインは共に虚飾が無く、シンプルで機能的なことが特徴であった。1959年(昭和34年)に日産自動車を退職。
なお、佐藤が退職した後の日産はイタリアの巨匠デザイナー・バッティスタ・ピニンファリーナに二代目ブルーバード(410型系、1963年発表)と二代目セドリック(130系・1965年発表)のデザインを託したが、いずれのモデルも好評を得ることは出来なかった。
佐藤はその後フリーランスに転じ、トヨタ・スポーツ800のプロトモデルにあたるパブリカスポーツ(戦闘機のキャノピーのようなドア兼用のスライド式ルーフが特徴・1962年発表)などのデザインを手がけた(生産型はトヨタ自動車社員の長谷川龍雄のデザイン)後、自動車から離れ、晩年はソニーの顧問デザイナーの立場にあった。
本業の傍ら、イミターチオ・セシリのペンネームで1960年代半ばのカーグラフィックに1920年代の車の記憶をイラストレーションと文章で綴った「ヴィンテジ・カー見聞録」を発表、1975年(昭和50年)には定価65,000円限定800部の豪華本「CLASSIC CAR 1919-1940」を出版し、続いて1978年(昭和53年)には「栄光のヴィンテジ&サラブレッド」(いずれも番町書房刊)を刊行した。英国車ジャガーの愛好家としても知られた。
二玄社や企画室ネコなどの自動車雑誌への寄稿や、自動車に関するエッセイも上梓する、昭和女子大学教授の佐藤潔人は子息。
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ダットサン・112(毎日工業デザイン賞)
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ダットサン・ブルーバード310系
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トヨタ・パブリカスポーツ(トヨタ・スポーツ800のプロトモデル)