佐藤正夫
佐藤 正夫(さとう まさお、1955年4月9日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、みんなの党選対委員長兼組織委員長、福岡県議会議員(4期)を歴任した。
佐藤 正夫 さとう まさお | |
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生年月日 | 1955年4月9日(69歳) |
出生地 | 福岡県北九州市小倉北区 |
出身校 | 日本大学生産工学部 |
前職 | 福岡県議会議員 |
所属政党 |
(自由民主党→) (みんなの党→) (無所属→) みんなの改革福岡 |
選挙区 | 比例九州ブロック(福岡10区) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2012年12月21日[1] - 2014年11月21日 |
選挙区 | 北九州市小倉北区選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1995年 - 2011年 |
経歴
編集福岡県北九州市小倉北区生まれ[2]。北九州市立足立小学校、北九州市立足立中学校、福岡県立小倉南高等学校を経て、日本大学生産工学部卒業[3]。
1995年4月、福岡県議会議員選挙に出馬し、初当選[3]。以後、県議を4期つとめる。2009年、自由民主党福岡県支部連合会総務会長に就任[4]。第22回参議院議員通常選挙の福岡県選挙区公認候補を決める公募で、改選になる吉村剛太郎ではなく大家敏志が選出されたことに反発。2010年4月、自民党を離党し、吉村と共に県連から除名処分が下った[5]。同年7月の第22回参議院議員通常選挙で福岡県選挙区にみんなの党から立候補するも落選[6]。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で福岡10区にみんなの党から立候補[7]。前回比例九州ブロック単独当選の山本幸三、前回小選挙区当選の城井崇に次ぐ45,698票で落選するも比例復活で初当選した[8]。
2014年11月21日に衆議院は解散。更にその直前、所属していたみんなの党が多数決で解党することを決めた。同月25日、12月の第47回衆議院議員総選挙において福岡10区から無所属で出馬するも、落選した(供託金没収)[9]。
2015年2月には旧みんなの党系の政治団体である「みんなの改革福岡」を立ち上げ代表に就任したが[10]、同団体は同年4月の福岡県議選・市議選で議席を獲得することができず[11]、12月4日に解散した[12]。
2016年の第24回参議院議員通常選挙ではおおさか維新の会から福岡県選挙区での出馬が取沙汰されたが[13]、出馬しなかった。
政策
編集その他
編集脚注
編集- ^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
- ^ 北中連だより:No.92 特 集 夏季対談
- ^ a b 佐藤正夫前衆議院議員オフィシャルサイト
- ^ 「総選挙勝利に向け一丸」 自民党福岡県連新役員きまる
- ^ 佐藤県議、吉村参院議員が除名処分に~自民党福岡県連
- ^ 佐藤正夫:プロフィル
- ^ 佐藤正夫:福岡10区:プロフィル
- ^ 九州 【比例代表】
- ^ 不出馬表明:佐藤正夫氏一転 福岡10区無所属出馬表明 毎日新聞 2014年12月25日
- ^ “正念場の「第三極」 維新、擁立模索続く”. 西日本新聞. (2015年3月15日) 2018年10月12日閲覧。
- ^ “開票結果-政令市議選・福岡県【統一地方選2015】”. 読売新聞. (2015年4月13日) 2018年10月12日閲覧。
- ^ 福岡県選挙管理委員会告示第三十三号 政治資金規正法(昭和二十三年法律第百九十四号)第十七条第一項の規定による政治団体の解散の届出があったので、同条第三項の規定に基づき、次のとおり公表する。 福岡県庁ホームページ
- ^ “【大阪ダブル選】:遠く九州にも余波、維新系議員に弾み 他党は警戒”. 産経新聞. (2015年11月23日) 2018年10月12日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ 福岡県議会 全国初の女性議長誕生へ
外部リンク
編集- みんなの党さとう正夫のブログ
- さとう正夫 (@masao409) - X(旧Twitter)