佐藤次彦
佐藤 次彦(さとう つぎひこ、1925年7月29日[1] - 2001年)は、日本の機械工学者。大阪工業大学第7代学長・名誉教授。工学博士(大阪大学)。溶接学会抵抗溶接研究委員会(現:軽構造接合加工研究委員会)初代委員長[2]。
略歴
編集福岡県出身[1]。大阪大学大学院工学研究科にて工学博士[3]。1957年大阪工業大学工学部機械工学科に着任、機械工学教室を担当。助教授、教授などを経て、1983年同大学学長。1995年大阪工業大学名誉教授。
大阪工業大学工学部機械工学科にて35年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に初期の溶接工学・溶接/接合システム工学の研究育成に貢献した。ドイツの溶接研究・研修機関である国際溶接技術協会(GSI-SLV)へ視察を行う[4]など抵抗溶接関連の教育を推進した。2001年逝去。日本航空123便墜落事故 で娘を失った遺族の一人[5]。
主な研究
編集出典
編集- ^ a b 『産経日本紳士年鑑 第9版 上』産経新聞年鑑局、1970年、さ行27頁。
- ^ https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjws/85/1/85_131/_pdf
- ^ https://ci.nii.ac.jp/naid/500000319239
- ^ https://cir.nii.ac.jp/crid/1522262179701709952
- ^ https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=439198844
- ^ https://www.jstage.jst.go.jp/article/qjjws1943/34/9/34_9_889/_article/-char/ja/