佐藤友昭
日本の元社会人野球選手
佐藤 友昭(さとう ともあき、1968年10月19日 - )は、元社会人野球選手(一塁手、外野手)。プリンスホテルに所属していた。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県 |
生年月日 | 1968年10月19日(56歳) |
身長 体重 |
184 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手、外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 1996年 |
この表について
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オリンピック | ||
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野球 | ||
銀 | 1996 | 男子 |
来歴・人物
編集愛知県出身。享栄高等学校では近藤真一、長谷部裕のバッテリーを擁し、一塁手、三番打者として1986年に春夏の甲子園に出場。春の選抜は1回戦で新湊高のエース酒井盛政に完封負け。夏の選手権は3回戦に進むが、高知商の岡林洋一に抑えられ惜敗。中央大学に進学。東都大学野球リーグでは優勝に届かず、1989年秋季リーグに二部降格。1987年秋季リーグでベストナイン(一塁手)に選出されている。2年上に笘篠賢治、1学年上に川端一彰、1学年下に中山雅行がいた。
大学卒業後の1991年にはプリンスホテルに入社し、都市対抗などで活躍。1992年には社会人野球日本選手権で山下和輝とクリーンアップを組み、武藤潤一郎、前田勝宏、斉藤貢らの活躍で決勝に進出。東芝に大差で敗れ準優勝にとどまるが、同大会の敢闘賞、優秀選手賞を獲得。同年の社会人ベストナイン(外野手)にも選出された。1993年アジア野球選手権大会、1994年のワールドカップ、1995年のインターコンチネンタルカップ日本代表となる。1996年にはアトランタオリンピック日本代表に選出され、日本の銀メダル獲得の原動力となった。その後も活躍を続け、1997年のアジア選手権日本代表も経験。
2000年限りでプリンスホテル硬式野球部が解散したのを期に同社を退社。その後は母校の享栄高でコーチを務め、2005年から2010年まで監督を務めた[1]。
表彰
編集- 第19回社会人野球日本選手権大会敢闘賞(1992年)
- 社会人ベストナイン(1992年)
- 都市対抗野球大会10年連続出場(2000年)
脚注
編集- ^ “享栄佐藤監督退任 後任は彦坂部長”. 日刊スポーツ (2010年7月21日). 2021年3月27日閲覧。