佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1940年3月7日 - 2017年3月13日[1][2])は、日本の画家書家陶芸家[3]

さとう かつひこ

佐藤 勝彦
生誕 1940年3月7日
日本の旗 日本関東州大連市
日本の旗 日本岡山県賀陽町
(現・吉備中央町
死没 2017年3月13日(77歳没)
日本の旗 日本奈良県
出身校 鳥取大学学芸学部
職業 画家書家陶芸家
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人物

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関東州大連生まれ。奈良県在住していた。

画壇に属さない画家として、独特の仏教観に根ざした豪放な書画を描き続けている。富士山仏像を好むほか、朱色を多用しに余白を残さない点が特徴。作品を手がけるだけでなく、陶磁器や骨董品の蒐集家としても知られている[3]

略歴

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7歳で生家の岡山県賀陽町(現・吉備中央町)に引き揚げたのち岡山県立高梁高等学校を経て、1958年鳥取大学学芸学部入学。1960年、重度の結核で入院するが快癒。以来プラス思考に転じる[3]

1963年、帝塚山学園小学部教師となるも、1968年中川一政の作品展に影響を受け創作活動を開始。1974年辻村史朗に刺激され作陶も手がける。 1975年季刊『銀花』第24号(文化出版局)の「佐藤勝彦現代仏道人生」特集号に挿入するため8万5千枚の肉筆画を描き話題となる[注 1]1986年、帝塚山学園退職。2003年、第79回箱根駅伝公式ポスターを制作した。

2017年3月13日 奈良県で77歳で逝去[2]

個展・業績ほか

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著書

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縁戚

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縁戚には全日空社長岡崎嘉平太全日空ホテルズ(現・IHG ANA ホテルズ)元役員佐藤光彦時計ジャーナリスト広田雅将、映像ディレクター佐藤充則などがいる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 一冊ごとに一枚の肉筆画を挿入した。
  1. ^ 佐藤勝彦 追悼展”. buffetfive.com. 2024年12月7日閲覧。
  2. ^ a b 佐藤勝彦 略歴”. g-ashiya.jp. 2024年12月7日閲覧。
  3. ^ a b c Gallery 佐藤勝彦|忘我亭 清水店”. bougatei.com. 2024年12月7日閲覧。