佐藤 久一(さとう きゅういち、1930年1月5日 - 1997年1月23日[1])は、日本の実業家。 山形県酒田市生まれ。酒田商業に入学後、酒田中学校に編入学。日本大学芸術学部中退。

人物・来歴

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父、久吉は日本酒醸造元「金久(きんきゅう)酒造」を経営、市議会議長商工会会頭などを歴任、テニスの振興に尽力するなど、名家の主として知られる。

久一は、大学中退後、20歳で映画館「グリーンハウス」支配人に就任。洋画専門館として名を馳せる。淀川長治荻昌弘が羨んだという映画館だった。 1964年には映画館の職を辞して、上京、日生劇場に勤務。同劇場の劇場課、のち食堂課に勤務。1967年8月、父、久吉の求めで酒田に戻り、以後、「レストラン欅」、「ル・ポットフー」の支配人として活躍。地方都市には珍しいフランス料理の名店として、著名な食通達の間で評判を博す。この店の味を絶賛した著名人には、開高健丸谷才一山口瞳らがいる[2]。1993年1月、「ル・ポットフー」を退職。1997年1月、食道癌で亡くなる。

家族

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  • 父・佐藤久吉(1905-) ‐ 家業の金久酒造のほか、邦画専門映画館「港座」、洋画専門映画館「グリーンハウス」経営、市議会議長、商工会議所会頭を務める町の名士。8人の子のうち6人をテニス選手に育てた。[3]
  • 妻・美代子 ‐ 港座の元館内アナウンサー。[4]

参考文献

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脚注

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  1. ^ 文祥堂フォーラム 第268回 世界一の映画館と日本一のフランス料理店をつくった男
  2. ^ 跡取り娘の経営戦略「お父さん、社長を辞めてください!」娘の経営方針は“拡大しすぎないこと”タケダワイナリー 5代目 代表取締役社長 岸平典子さん(後編)」『』日経ビジネスオンライン、2008年8月6日。2014年2月25日閲覧。
  3. ^ 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』 p18
  4. ^ 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』 p27

外部リンク

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