佐義達雄
日本の作詞家兼作曲家
経歴
編集中学卒業後、直島町役場に就職。合間に父親の漁を手伝う生活であった[1]。その後、三菱金属鉱業に入社。社内で自作の歌を歌っていたところ、周囲の勧めでNHKの素人参加番組『あなたのメロディー』に佐義が作詞・作曲した「漁師一代」で応募し、評判となる[1]。これを機に、同じく社内の歌好き同士で仲が良かった村木賢吉[1]の歌唱で「漁師一代」(B面は「土方渡世」)を自主制作、各地の有線放送に送ったところ[2]、このレコードが評判となり、1972年、東芝レコードで、再録音の末、再発売されることとなった(A面を「土方渡世」に変更、村木も「槇島人」の芸名が付いた)[2]。この後、佐義は直島町に帰り、島に自分のスタジオ「直島ミュージックスタジオ」を開業。佐義の作詞・作曲、島民の歌唱による自主制作盤を多数制作した[3]。
1976年、1972年に制作した[4]村木歌唱の自主制作盤「おやじの海」が評判を呼び、再びメジャー会社からのオファーを受け、1977年にフィリップス・レコードから再発売[3]。有線放送で火がついて、じわじわと人気を獲得し、1979年に日本作詩大賞大衆賞[5]、第21回日本レコード大賞では企画賞を受賞した[4]。更に売上が伸びて、1980年には年間チャート17位の大ヒットとなった[6]。
「おやじの海」の大ヒット後も、直島に暮らし、設備業、製塩業に携わりつつ、自身のスタジオで自主制作盤を製作し続けている[4]。