佐竹義苗
江戸時代前期の出羽久保田藩の世嗣。四品、従四位下・修理大夫。佐竹義処の長男
佐竹 義苗(さたけ よしみつ)は、江戸時代前期の出羽国久保田藩の世嗣。通称は次郎。官位は四品、従四位下・修理大夫。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛文11年12月29日(1672年1月28日)[1] |
死没 | 元禄12年6月18日(1699年7月14日) |
改名 | 義林、義苗 |
別名 | 次郎(通称) |
官位 | 従四位下修理大夫 |
藩 | 出羽久保田藩世嗣 |
氏族 | 佐竹氏 |
父母 | 父:佐竹義処、母:鶴姫 |
兄弟 | 義苗、相馬叙胤、義格、藤堂高通養女、松平宣富正室、養真院、幻体院ら |
妻 | 正室:徳川光貞の娘・育姫 |
経歴
編集寛文11年(1671年)、出羽国久保田藩3代藩主・佐竹義処の長男として誕生。母は越前松平直政の娘・鶴姫(宝明院)。正室は徳川光貞の娘・育姫(徳川吉宗の姉にあたる)。諱は初め義林、後に義苗。
延宝3年(1675年)10月に宇留野勝明が傳役となり、天和元年(1681年)に初めて将軍に謁見する。天和3年(1683年)に傳役の宇留野勝明が義苗付きの家老に就任する。貞享元年(1684年)に叙任される。
元禄元年(1688年)に育姫と婚約するが、元禄12年(1699年)に29歳で死去した。次弟・相馬叙胤は既に陸奥国相馬中村藩の養子となっていたため、末弟・義格が嫡子となり、のち家督を継いだ。
脚注
編集- ^ 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.61