佐太 老(さた の おゆ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族忌寸正七位上・佐太百足の子。官位正五位下丹波守

出自

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佐太氏は東漢氏の一族である渡来氏族の呼称は河内国茨田郡に佐太郷(現在の大阪府枚方市蹉跎)の地名に由来すると想定される。はもともとはとみられ、延暦4年(785年)の坂上苅田麻呂の上表により、坂上氏内蔵氏など10姓16氏とともに忌寸から宿禰改姓している[1]

経歴

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文武朝大宝4年(704年従五位下叙爵する。同時に従五位下に昇った官人穂積山守巨勢久須比大神狛麻呂佐伯垂麻呂采女枚夫太安万侶阿倍首名田口益人笠麻呂石上豊庭大伴道足漆部道麻呂米多北助多治比三宅麻呂台八嶋らがいる。

従五位上に昇叙されたのち、元明朝末の和銅3年(714年)大神狛麻呂の後任として丹波守に任ぜられた。元正朝の和銅5年(716年穂積山守・巨勢九須比・巨勢邑治とともに正五位下に昇叙されている。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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  • 父:佐太百足[2]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:佐太弓張[2]
    • 男子:佐太○麻呂[2]

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』延暦4年6月10日条
  2. ^ a b c 鈴木真年『百家系図稿』巻9,東漢直

参考文献

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