佐古利正

日本の神職、教育者。宇津神社宮司。

佐古 利正(さこ としまさ、明治45年〈1912年6月26日 - 平成10年〈1998年9月22日)は、日本神職教育者宇津神社宮司

 
佐古 利正
時代 昭和時代 - 平成時代
生誕 (1912-06-26) 1912年6月26日
山口県の旗 山口県都濃郡鹿野町
死没 (1998-09-22) 1998年9月22日(86歳没)
主君 昭和天皇太上天皇
氏族 佐古家
父母 父:佐古吉浦、母:佐古しづ
兄弟 幸嬰利正
配偶者 佐古八重子
子供 利南正人
親戚 佐古一洌(甥、松尾大社名誉宮司)
佐古真弓(孫、女優・声優)
奉職神社 宇津神社
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生涯

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明治45年(1912年6月26日佐古吉浦・しづ夫妻の五男として、山口県都濃郡鹿野町(現周南市)に誕生した[1]

昭和5年(1930年)、旧制山口県立岩国中学校を卒業すると、姉幸嬰の強い影響を受けて、同年4月1日神宮皇學館本科第二部に入学した[1][2][3]。同期には呉市出身の白石舜逸がいた[1][2][3]。在学中の昭和7年(1932年)5月、神宮皇學館大講堂に於いてジョセフ・ウォーレン・ティーツ・メーソンの「神道の創造性について」という講演会が開かれこれに出席すると強い衝撃を受け、メーソンの『神ながらの道』を日夜読み耽ったという[1]

昭和9年(1934年3月10日、神宮皇學館を卒業し[4]、岩国で教師となる[1]。昭和13年(1938年)7月、西村八重子と結婚するがその4日後に召集令状が届き、応召した[1]支那事変日中戦争)のため上海に上陸し、無錫に移るもマラリア結核に罹患し、野戦病院に移送され二年間の療養ののち昭和15年(1940年)広島に於いて除隊した[1][注釈 1]。その後は旧制山口県立宇部中学校で「国史」の教師となった[1][注釈 2]

昭和17年(1942年)、長男利南としなみが誕生した[* 1][* 2]。昭和19年(1944年)、義兄にして親友の白石舜逸が病臥すると、その息子一洌かずきよの教育について「一洌を神道界に、また神宮皇學館に進ませるように」と託された[1]。舜逸は同年11月に帰幽した[5]。昭和20年(1945年)、再び召集令状が届くと、本土決戦に備え九州の山奥で訓練していたが、そのさなかに終戦した[1]。昭和21年(1946年)には次男正人まさとが誕生した[* 2]

昭和23年(1948年)、岩国に戻って新制中学校で英語を教えた[1]。その後、和木町立和木中学校第6代校長に就任[* 3]。昭和43年度(1968年4月 - 1969年3月)、明治100周年記念事業として予算33万円で門柱・門扉を築造することになると、利正校長は3名の教員と共に門に相応しい自然石を探しに、錦川を遡上して錦町まで到って探すも見つからず、夕刻に小瀬川を下って弥栄峡でようやく見つけたという[* 4]。その石に刻まれた「自尊」と「敬虔」という言葉について、「自尊とは、自分の人格を大切にして品位を傷つけないこと」「敬虔とは、神仏を深く敬いつつしむさま」このことを生徒たちに教え続けた[1]

教職を退くと、宇津神社宮司に専念した[1]平成2年(1990年10月27日には宗像大社を正式参拝している[6]

平成10年(1998年5月5日、姉幸嬰が帰幽[7]。同年9月22日、後を追うように86歳(数え87歳)で帰幽した[1]

系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 所属していた部隊は全滅し、その旨を知ると生き残ったことを終生悔いていたという[1]
  2. ^ 将来を担う人材育成のため超スパルタ教育を行い、優秀な生徒がたくさん育っていったと晩年には自負していたという[1]

書籍出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『戦後神道界の羣像』, p. 303, 「佐古利正」.
  2. ^ a b 『官報』第989号, p. 19, 「彙報(學事):入學許可」.
  3. ^ a b 『神宮皇學館一覧』, p. 156.
  4. ^ 『官報』第2194号, p. 19, 「彙報(學事):卒業證書等授與」.
  5. ^ 『戦後神道界の羣像』, p. 519, 「佐古幸嬰」.
  6. ^ 『宗像』第359号, p. 2, 「社務日誌抄」.
  7. ^ 『戦後神道界の羣像』, p. 520, 「佐古幸嬰」.

ウェブサイト出典

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  1. ^ 佐古利南|プロフィール”. HMV&BOOKS. 2024年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月16日閲覧。
  2. ^ a b 原田文明 (2018年5月29日). “一人芝居「土佐源氏」”. あーとランダム. 2024年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月16日閲覧。
  3. ^ 学校紹介policy”. 和木町立和木中学校. 2024年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月16日閲覧。
  4. ^ 『自尊と敬虔:和木中学校だより』第2524号”. 和木町立和木中学校. 2024年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月16日閲覧。

参考文献

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書籍

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  • 『神宮皇学館一覧:自昭和五年四月至昭和六年三月』神宮皇學館編、神宮皇學館、1930年。doi:10.11501/1447692 
  • 『戦後神道界の羣像』神社新報社編、神社新報社、2016年。ISBN 978-4-908128-09-7 

社報

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  • 『宗像』第359号、1990年11月15日。 

官報

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