佐伯 沙弥麻呂(さえき の さみまろ、生没年不詳)は、奈良時代貴族。名は沙美麻呂とも記される。大錦上佐伯子麻呂の孫で、佐伯家主の子とする系図がある。宿禰官位正五位下信濃守

経歴

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元明朝和銅6年(713年従六位下から四階昇進して従五位下叙爵し、翌和銅7年(714年小治田宅持の後任として、信濃守に任ぜられている。

鉾持神社の社伝によると、養老5年(721年)信濃国司の小治田宅持が、伊豆神社天津彦火瓊瓊杵尊箱根神社天津彦火火出見尊三嶋大社大山祗命、それぞれの分霊を町の西部にある権現山より勧請したのが神社の始まりである、と伝承されているが[1]、これまでに小治田宅持の後任の信濃守として沙弥麻呂が任ぜられていることから、社伝に誤りがある可能性がある。

聖武朝神亀3年(726年)従五位下から二階昇進して正五位下に至る。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

系譜

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  • 父:佐伯家主[2]
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:佐伯安吉[2]

脚注

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  1. ^ 長野県:歴史・観光・見所”. 2017年1月29日閲覧。
  2. ^ a b 鈴木真年『諸系譜』第8冊,佐伯宿禰

参考文献

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