佐伯昌長
佐伯 昌長(さえき まさなが、生没年不詳)は、平安時代後期の神職(陰陽師)。筑前国住吉神社神主佐伯昌助の弟。住吉昌長とも[1]。通称は小太夫。
人物
編集治承3年(1179年)、兄昌助の伊豆国への配流に同行した。後に源頼朝に近侍し、1180年8月6日、頼朝は昌長と藤原邦通を呼んで占わせ挙兵の日を決めた[2]。頼朝が山木兼隆を襲撃する際に随行し[1]、昌長は天曹地府祭(六道冥官祭。陰陽道の祭祀)、永江頼隆は千度祓を以って戦勝祈願した[3]。石橋山の戦いで敗戦後は伊豆山に避難した北条政子に随行した。
脚注
編集参考文献
編集- 『史料綜覧』(1926年、朝陽会)
- 『大日本神祇史』(1913年、国晃館)
- 『日本史蹟体系-第4巻』(1935年、平凡社)