佐世保諌
室町時代後期・戦国時代の武将
佐世保 諌(させぼ いさむ/いさみ)は、戦国時代の武将。肥前国佐世保城主。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 享禄元年(1528年) |
別名 | 通称:源三郎 |
官位 | 丹後守(受領名) |
氏族 | 松浦氏→佐世保氏 |
父母 | 父:松浦定 |
兄弟 | 松浦政、諌 |
妻 | 志佐純元次女(法名・永林) |
佐世保の地を領有し佐世保氏を名乗る。また、居城である佐世保城を築城した。明応7年(1498年)11月2日、諌の兄であり相神浦松浦氏15代目の松浦政が拠る大智庵城が松浦弘定の攻撃を受けた時は、兄の救出には向かわず沈黙を貫いた。寄せ手の弘定の養子・松浦興信が妻の兄弟という関係に配慮したと思われる。
享禄元年(1528年)、死去。
出典
編集- 『大曲記』
- 『松浦家世伝』