住田 寅次郎(すみだ とらじろう、明治7年(1874年12月25日 - 昭和2年(1927年11月25日)は、日本実業家政治家米子商工会副会頭、米子町会議員、郡会議員。

住田 寅次郎
すみだ とらじろう
生年月日 1874年12月25日
出生地 鳥取県米子市東倉吉町
没年月日 (1927-11-25) 1927年11月25日(52歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学政治学[1]
前職 呉服
称号 法学士[1]
親族 父・住田善平(米子町長)

町会議員
在任期間 1907年9月 -

郡会議員
在任期間 1915年9月 -
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漫画家水木しげる本名武良茂)の大叔父。父は住田呉服店の主人で米子町長をつとめた住田善平

経歴

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米子東倉吉町商家に生れた。家業は呉服商。

1902年7月、東京帝国大学法科大学政治学科卒業、法学士[1]

後には転じて製パンを志し、世上これを“学士パン”と呼んだ[2]

明治40年(1907年)9月、町会議員に当選[3]学務委員、角盤学校組合議員其の他各種の名誉職を兼ねた[4]

人物像

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住田寅次郎は1902年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した[1]。元米子市長野坂寛治によれば「現代の諸君は“アァ学士か”とそこらに落ちている小石のように思うであろうが、明治356年ごろの学士さんはトテモドエライもので、住田寅次郎氏が法科を、筆者の叔父貴野坂康二が工科を、共に東大を卒えて帰還した年の夏、渡辺町長その他お歴々の発起によって公会堂で歓迎会を開いて頂いている[2]。」という。

略歴

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  • 明治40年(1907年)9月 - 町会議員(二級)当選[3]
  • 明治42年(1909年)11月 - 町会議員(二級補缺)当選[3]
  • 明治43年(1910年)9月 - 町会議員(二級)当選[5]
  • 大正2年(1913年
    • 5月 - 学務委員就任[6]
    • 9月 - 町会議員(二級)当選[5]
  • 大正3年(1914年
    • 6月 - 臨時大字新設並区域名称変更調査委員( - 1915年5月)[7]
  • 大正4年(1915年
    • 9月 - 郡会議員当選( - 1919年9月)[8]
    • 10月 - 郡参事会員補充員当選( - 1919年9月)[9]
  • 大正6年(1917年
    • 5月 - 学務委員就任[6]
    • 9月 - 町会議員(二級)当選[10]
  • 大正9年(1920年
    • 6月 - 治水臨時調査委員選定、1922年4月事務終了[7]
  • 大正10年(1921年
    • 5月 - 学務委員就任[11]
    • 9月 - 町会議員当選[12]
    • 10月 - 県立工業学校建築協議委員選定、12月事務終了[13]
  • 大正11年(1922年
    • 4月 - 米子町市制実施準備調査委員選定[13]
  • 大正12年(1923年
  • 大正14年(1925年
    • 2月 - 公設市場委員選定[15]
    • 5月 - 学務委員就任[11]
    • 6月 - 米子商工会副会頭[14]
  • 昭和2年(1927年
    • 6月 - 米子商工会副会頭[14]

脚注

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  1. ^ a b c d 『東京帝国大学一覧 明治37-38年』(東京帝国大学編、p103)
  2. ^ a b 野坂寛治著『米子界隈』183頁
  3. ^ a b c 『米子自治史』三六頁
  4. ^ 『米子自治史』九四六 - 九四七頁
  5. ^ a b 『米子自治史』三七頁
  6. ^ a b 『米子自治史』四二頁
  7. ^ a b 『米子自治史』四七頁
  8. ^ 『米子自治史』六四頁
  9. ^ 『米子自治史』六五頁
  10. ^ 『米子自治史』三八頁
  11. ^ a b 『米子自治史』四三頁
  12. ^ 『米子自治史』三九頁
  13. ^ a b 『米子自治史』四八頁
  14. ^ a b c 『米子自治史』八二八頁
  15. ^ 『米子自治史』四五頁

参考文献

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  • 『米子自治史』 昭和14年(1939年)

外部リンク

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