住江 滄浪(すみのえ そうろう、元禄4年(1691年)- 享保13年7月13日(1728年8月18日))は、江戸時代中期の儒者。 名は昭猷、字は君徽、通称は万之允(万之丞)。"住江"は"墨江"とも書かれる。
元禄4年(1691年)、中瀬助九郎豊長の二男として生まれる[1][2]。兄は中瀬助之允(柯庭)[2][3]。
住江求右衛門宗春の養子となって住江氏を継ぎ、熊本藩に仕える[1][2]。 荻生徂徠に就いて学び、服部南郭とも交遊[1][2]。詩文、書画が巧みであったという[2][3]。
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