住吉 豊継(すみのえ の とよつぐ)は、平安時代初期の貴族朝臣従五位下・住吉継麻呂の子。官位従五位上左兵衛佐

 
住吉豊継
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上左兵衛佐
主君 嵯峨天皇
氏族 住吉朝臣
父母 父:住吉継麻呂
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経歴

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大同5年(810年)に発生した薬子の変において、右近衛将曹として左近衛将監・紀清成と共に拘禁していた藤原仲成を射殺する役目を果たした[1]

弘仁5年(814年)正月に従七位下から八階昇進して一旦従五位下に叙せられるが[2]正六位上位階に留まっていた父・継麻呂に昇叙を譲ることを願って許され、継麻呂は従五位下に、豊継は従六位下に叙せられることになった[3]。結局、翌月になって豊継は従五位下に叙爵し左兵衛佐に任ぜられている。

嵯峨朝末の弘仁13年(822年)従五位上に至る。

官歴

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日本後紀』による。

脚注

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  1. ^ 『日本後紀』弘仁元年9月11日条
  2. ^ 『日本後紀』弘仁5年正月7日条
  3. ^ 『日本後紀』弘仁5年正月8日条

参考文献

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