伴氏上
伴 氏上(とも の うじかみ)は、平安時代初期の貴族。官位は正五位下・右中弁。勲等は勲七等。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正五位下・右中弁 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 大伴氏 |
父母 | 大伴駿河麻呂[1] |
子 | 真意 |
経歴
編集嵯峨朝にて少内記・大内記を務める。また、勲七等への叙勲を受けていることから、蝦夷征討にも従事したか。
淳和朝では、尾張守や左少弁など内外の諸官を歴任し、この間の天長2年(825年)従五位上に昇叙されている。
天長10年(833年)仁明天皇の即位に伴って、正五位下・右中弁に叙任される。翌承和元年(834年)第19次の遣唐使が派遣されることが決まると、造舶使長官に任ぜられ遣唐使船の築造を担当する。承和3年(836年)7月に遣唐使船は大宰府から唐に向け出航するが、間もなく渡海は失敗して7月から8月にかけて全ての船が九州各地に漂着した。そのため、9月に氏上は修理遣唐舶使長官に任ぜられ、遣唐使船の修理に当たっている。
官歴
編集注記のないものは『六国史』による。