伯耆国分寺跡
概要
編集国分川左岸の丘陵上にあり、伯耆国庁跡の東側にある。また、東北側には国分尼寺跡と推定されている法華寺畑遺跡がある。
1970年(昭和45年)以来の発掘調査の結果、寺域は東西182m・南北160mの規模で寺域の周囲に溝を巡らせ、溝の内側の南側に築地塀、残り三方には土塁が築かれていることが確認された。
寺域の西寄りの区域に金堂・講堂・回廊の跡が検出され、これらの南方に南門跡、寺域の東南隅に塔跡がある。金堂と講堂は南北に近接して位置し、塔は回廊外の南東方に建っていた。
『続左丞抄』には948年(天暦2年)に火災で焼失したと記されており、それを裏付けるかのように塔の付近には火災時に塔が北西方向に倒れたことを示唆する焦土の堆積が残されていた。
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鬼瓦
鳥取県立博物館展示。
参考文献
編集- 松村恵司「伯耆国分寺跡」『日本史大事典 6』(平凡社 1994年) ISBN 978-4-582-13106-2
- 真田広幸「伯耆国分寺跡」『国史大辞典 15』(吉川弘文館 1996年) ISBN 978-4-642-00515-9
- 眞田廣幸「伯耆国分寺跡」『日本歴史大事典 3』(小学館 2001年) ISBN 978-4-09-523003-0
座標: 北緯35度25分57.2秒 東経133度47分23.3秒 / 北緯35.432556度 東経133.789806度