会津農書
江戸前期の農書
会津農書(あいづのうしょ)は、1684年(貞享元年)に会津藩の村役人(肝煎)である佐瀬与次右衛門が著したぜんさんかんからなる農書。記されている農法は当時の地域の農法に著者自らの研究を加えて改良、体系化したもので、中国の農書の影響は少ない[1]。日本の農書としては最古のものの一つであり[2]、内容の合理性、実証性は現代の農学者からも高く評価されている[3]。全3巻、上巻稲作,中巻畑作,下巻農業経営を述べ、同村近傍の農業技術の研究、その慣行と改良を記述している。
関連する農書
編集同一の著者によるもの
編集佐瀬与次右衛門が著した農書には、他に「歌農書」(会津歌農書とも)と「会津農書附録」がある。前者は与次右衛門自作の和歌により農民に農業技術や農家の心構えなどを伝えるもので、後者は会津農書の解説と補足を行うものである[6]。後者には1691年から1709年までの天候と作物の出来も記載されている[5]。
影響を受けた農書
編集佐瀬与次右衛門の婿養子である林右衛門盛之は会津農書の畑作法を深めた「幕内農業記」という農書を著している[6]。また福島県のかつての山都町に当たる地域では、これとは別に会津農書の内容の抜粋と会津の山間高冷地の農法の解説からなる「農書 全」(のうしょ ぜん)が書かれた[6]。
脚注・出典
編集- ^ 佐瀬与次右衛門 著、庄司吉之助、長谷川吉次、佐々木長生、小山卓 編『日本農書全集第十九巻 会津農書 会津農書附録』農山漁村文化協会〈日本農書全集〉、1982年、244, 262-265頁。ISBN 4-540-82026-5。
- ^ 農業全書より成立年代は十数年も早い
- ^ 佐瀬与次右衛門の農の観察眼 星川清親 日本農書全集 月報一九九八年八月 第十九巻 会津農書・他
- ^ 佐瀬与次右衛門 著、庄司吉之助、長谷川吉次、佐々木長生、小山卓 編『日本農書全集第十九巻 会津農書 会津農書附録』農山漁村文化協会〈日本農書全集〉、1982年、265-267頁。ISBN 4-540-82026-5。
- ^ a b 秡川信弘「『会津農書』成立の背景を物語る史料 : 『会津歌農書』と『会津農書附録』」『総合政策論集: 東北文化学園大学総合政策学部紀要』第18巻第1号、2019年、119-144頁、NAID 120006632958、2025年1月9日閲覧。
- ^ a b c 一般社団法人 農山漁村文化協会 (n.d.). 原文・現代語訳・注解・解題付 『日本農書全集』 全69巻(1977~99年刊) 内容概説・巻構成・収録農書一覧 (PDF) (Report). 2025年1月11日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2025年1月11日閲覧。
参考文献
編集外部リンク
編集- 国立国会図書館デジタルコレクション - 小野武夫編著の『会津農書』伊藤書店、昭和19年の初版が見られる