会津 泉(あいづ いずみ[1]、あいず いずみ[2]1952年 - )は、日本情報社会学研究者。多摩大学情報社会学研究所教授・主任研究員、公益財団法人ハイパーネットワーク社会研究所主幹研究員[3]

会津泉(2007年)

経歴

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宮城県仙台市に生まれ[4][3]神奈川県逗子市に育つ[5]1971年栄光学園高等学校を卒業後、伝習館訴訟の救援活動などに従事した[5]。その後、印刷会社に勤め、転職を重ねて欧文印刷で日本国外向けの広告・広報の営業などに従事する[4][5]。業務の中で、コンピュータ関係のマニュアル制作を受けるようになり、1985年に発表されたApple IIcの日本語マニュアル「はじめてのあっぷる」の制作に従事した[5]

1985年に独立して、アメリカ合衆国における草創期のパソコン通信ネットワークの実態調査に取り組み、1986年に株式会社ネットワーキングデザイン研究所を設立して、日本におけるパソコン通信の普及に取り組み、特に大分県における取り組みなどに深く関わる[4]

1991年国際大学GLOCOM企画室長[4]1993年、財団法人ハイパーネットワーク社会研究所研究企画部長を兼任[3][4]1996年情報処理学会の学会誌『情報処理』に発表した「インターネットの進化発展の意味」が、情報処理学会1996年Best Author賞を受賞した[3][6]佐々木俊尚は会津について、「1990年代には「インターネットの伝道師」とも呼ばれ」たと述べている[5]

1997年から2000年にかけては、活動の拠点をマレーシアクアラルンプールに移し、1998年からはアジア太平洋インターネット協会(APIA)事務局長を務め、アジア地域におけるインターネット関係の普及実践や研究にあたる[4]

2000年に国際大学GLOCOM主幹研究員となり、2002年にハイパーネットワーク社会研究所副所長を経て、2004年6月に多摩大学情報社会学研究所主任研究員、2008年に同教授[4]2011年には、情報支援プロボノ・プラットフォーム (iSPP) の設立に参加し、代表理事のひとりとなった[7]2013年5月より2015年3月まで、公益財団法人に移行したハイパーネットワーク社会研究所の理事長・所長を務めた[3][8]

おもな著作

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単著

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  • パソコンネットワーク革命:日米最前線レポート、日本経済新聞社 (Nikkei neo books)、1986年
  • 進化するネットワーク、NTT出版、1994年
  • アジアからのネット革命、岩波書店、2001年
  • インターネットガバナンス:理念と現実、 NTT出版、2004年

共編書

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  • 公文俊平との共編)入門インターネット・ビジネス、日本経済新聞社、1996年
  • (情報支援プロボノ・プラットフォームiSPP代表として共著) 3.11被災地の証言 東日本大震災 情報行動調査で検証するデジタル大国・日本の盲点、 インプレスジャパン、 2012年

訳書

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脚注

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  1. ^ 会津泉 プロフィール”. NTTコムウェア. 2015年2月20日閲覧。
  2. ^ (財)情報通信学会関西支部研究会開催のお知らせ” (PDF). 情報通信学会. 2015年2月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e 公益財団法人への移行と代表理事の交代についてのお知らせ”. 公益財団法人ハイパーネットワーク社会研究所 (2013年6月4日). 2015年2月19日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 会津泉. “会津泉 プロフィール”. 多摩大学情報社会学研究所. 2015年2月19日閲覧。
  5. ^ a b c d e 佐々木俊尚. “人間探検 ― 反権威の『インターネットの伝道師』 会津泉・アジアネットワーク研究所代表”. 佐々木俊尚. 2015年2月22日閲覧。
  6. ^ Best Author賞(IPSJ Best Author Award)”. 情報処理学会. 2015年2月20日閲覧。
  7. ^ 会津泉「iSPP の1年を振り返って—総括と反省」『情報支援プロボノ・プラットフォーム (iSPP) 初年度活動報告書』(PDF)情報支援プロボノ・プラットフォーム (iSPP)、2012年6月23日、15-17頁http://www.ispp.jp/ispp-wp/wp-content/uploads/2012/06/iSPP_anual_report_2012.pdf2015年2月23日閲覧 
  8. ^ ハイパーネットワーク社会研究所. “2013年5月29日から2015年3月31日までの役員”. ハイパーネットワーク社会研究所. 2016年1月12日閲覧。

外部リンク

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