伊達村煕
伊達 村煕(だて むらひろ)は、江戸時代中期の陸奥国仙台藩一門第九席・川崎伊達家3代当主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 元文5年(1740年) |
死没 | 寛政11年6月10日(1799年7月12日) |
別名 | 三郎、主殿、織部 |
墓所 | 宮城県柴田郡川崎町の龍雲寺 |
主君 | 伊達宗村→重村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 川崎伊達家 |
父母 | 伊達村敏、伊達村詮養女・律道 |
兄弟 | 村煕、豊、清、広、久米、村烈 |
子 |
伊達村賢正室 村賢 |
生涯
編集元文5年(1740年)、川崎伊達家2代当主・伊達村敏の子として誕生。
宝暦3年(1753年)12月、父・村敏の死去により家督を相続し、陸奥国柴田郡川崎邑主となる。仙台藩主・伊達宗村より偏諱を賜って村煕と名乗る。宝暦8年(1758年)、新藩主伊達重村(宗村の長男)の帰国許可の謝使として江戸に出府し、江戸城で9代将軍・徳川家重に拝謁する。
参考文献
編集- 『仙台人名大辞書』
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