伊藤英三 (官僚)
昭和時代前期の台湾総督府官僚
伊藤 英三(いとう えいぞう、1903年(明治36年)8月15日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、警察官僚。嘉義市尹。
経歴・人物
編集広島県広島市稲荷町に生まれる[1]。第六高等学校を経て[2]、1927年(昭和2年)3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業[1]。同年12月[2]、高等試験行政科に合格し、翌年5月、台北州巡査部長に任ぜられる[1]。ついで台北州警部補、司獄官練習所教官、新竹州警務課長、台中州警務課長兼理蕃課長、同保安課長、高等警察課長を経て、台南州教育課長に転じ、高雄州地方課長を経て、1936年(昭和11年)10月、嘉義市尹に就任した[1]。
翌年、台中州警務部長に転じた[3]。その後、帰朝し、秋田県書記官・学務部長を経て[4]、滋賀県警察部長に就任し、1943年(昭和18年)7月まで務めた[5][6][7]。
脚注
編集参考文献
編集- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1937年 。
- 太田肥州 編『新台湾を支配する人物と産業史』台湾評論社、1940年 。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。