伊藤聚
日本の詩人
人物・略歴
編集1935年、東京阿佐ヶ谷に生まれる。少年時代を静岡県で過ごした。1945年5月、磐田空襲の直撃を受け、多くの友人を失っている。1954年、静岡県立静岡高等学校[注釈 1]卒業[3]。早稲田大学文学部独文科を卒業後、松竹に入社。長く助監督・松竹シナリオ研究所校長を務めた。1951年頃から詩作を発表し始める。後、「氾」「鷭」「壱拾壱」「淼」「アサザ属」「飾粽」「NEW感情」などに所属した。美術への関心も強く、コラージュ・イラスト・オブジェ・写真など、言葉によらない作品も多く残している。
脚注
編集- ^ “伊藤 聚 - Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2022年11月17日閲覧。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、104頁。
- ^ a b 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 122頁。
- ^ 伊藤聚Web詩抄・目次
注釈
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参考文献
編集関連項目
編集- 書肆山田
- 土佐の一本釣り(1980年の映画) 助監督
- 日蓮 (映画) 助監督
- 八つ墓村 (1977年の映画) 助監督