伊藤武七郎
伊藤 武七郎(いとう ぶしちろう、1868年7月23日(明治元年6月4日[1])- 1936年(昭和11年)10月26日[2][3])は、大正から昭和前期の大地主[1][4]、政治家。衆議院議員、東京府荏原郡荏原町長。
経歴
編集武蔵国荏原郡下蛇窪村[1](東京府荏原郡平塚村、平塚町、荏原町、東京市荏原区を経て現東京都品川区)で、地主・伊藤受房の二男として生まれる[1]。父は杜松斎景湖と名乗り寺子屋を開いていた。攻玉社中学校(現攻玉社中学校・高等学校)で学んだ[2][注釈 1]。1917年(大正6年)5月に家督を相続した[1]。
平塚村内堀普通水利組合議員、同村会議員、同耕地整理組合長、荏原郡会議員、荏原町長、東京府会議員(4期)、同副議長、土地貸借価格調査委員、品川普通水利組合会議員、東京市会議員、同参事会員、荏原区公民学務委員などを務めた[1][2][3][4]。
1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙に東京府第5区から立憲民政党公認で出馬して当選し[2][3][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。議員在任中の1936年10月に死去した[5]。
人物
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『粛正選挙代議士名鑑』12頁では独学。
出典
編集参考文献
編集- 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1935年。
- 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
- 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。