伊藤憲一
日本の国際政治学者
伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年3月7日 - 2022年3月14日)は、日本の国際政治学者。専門は国際政治学、戦略論。公益財団法人日本国際フォーラム代表理事・会長[1]。日本会議代表委員[2]、NPO法人世界開発協力機構副総裁[3]、青山学院大学名誉教授、カンボジア大学名誉博士。
いとう けんいち 伊藤 憲一 | |
---|---|
生誕 |
1938年3月7日 東京都 |
死没 |
2022年3月14日(84歳没) 東京都 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 一橋大学法学部卒業 |
職業 |
(公財)日本国際フォーラム代表理事・会長 日本会議代表委員 世界開発協力機構副総裁 青山学院大学名誉教授 |
人物
編集東京都出身。1960年に一橋大学法学部を卒業し外務省に入省。ハーバード大学留学等のあと、在モスクワ、マニラ、ワシントンの日本大使館書記官、南東アジア一課長などを歴任し、1977年に外務省を退官した。
外務省退官後は新自由クラブの一員となる一方[4]、1980年から2006年まで[5]青山学院大学に助教授・教授として在籍するかたわら、1980年から1987年までジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS) 東京代表を務めた[6][7]。また、新自由クラブ時代の縁で、大来佐武郎の公益財団法人日本国際フォーラムの設立に参画した[7]。
自ら副総裁を務めるNPO法人世界開発協力機構(総裁は深見東州)が主催する「世界オピニオンリーダーズサミット」を日本国際フォーラムとして後援し、第1回から第3回目までの同サミットにパネリストとして出席した[8][9][10]。
略歴
編集- 1938年 東京都生まれ
- 1959年 外交官上級試験合格
- 1960年 一橋大学法学部卒業、外務省入省。同期には林貞行、福田博、谷野作太郎ら。
- 1960年 アメリカ陸軍語学校留学(ロシア語、1961年まで)
- 1961年 ハーバード大学大学院政治学部留学(ソ連外交研究、1963年博士課程中途退学)
- 1963年 在ソ連大使館三等書記官
- 1965年 外務省国際資料部事務官
- 1967年 外務省経済協力局事務官
- 1970年 在フィリピン大使館二等書記官
- 1973年 在アメリカ大使館一等書記官(政務担当)
- 1975年 外務省アジア局南東アジア第1課長
- 1977年 外務省退職、伊藤憲一事務所開設
- 1980年 青山学院大学経営学部助教授
- 1980年 ジョージタウン大学戦略国際問題研究所の東京代表(-1987年)
- 1982年 青山学院大学国際政治経済学部教授(-2006年)
- 1985年 東京大学教養学部非常講師および北海道大学スラブ研究センター研究員(-1986年)
- 1987年 財団法人日本国際フォーラム専務理事
- 1990年 財団法人日本国際フォーラム理事長[11]
- 1999年 特定非営利活動法人日本紛争予防センター理事長(-2004年)[12]
- 2006年 青山学院大学名誉教授
- 2017年 公益財団法人日本国際フォーラム会長[13]
- 2022年 誤嚥性肺炎の為東京都内の病院にて死去、84歳没[14]。
著作等
編集単著
編集- 『アメリカは甦るか――現代アメリカ政治外交論』(合同出版、1980年)
- 『ソ連は強いものには手を出さない――日本が強者であるための国際戦略』(ごま書房ゴマセレクト、1982年)
- 『国家と戦略』(中央公論社、1985年)
- 『世界が日本の将来に蒼ざめる理由――歴史の流れを読む』(光文社カッパ・ビジネス、1986年)
- 『大国と戦略』(文春ネスコ、1988年)
- 『日本の大戦略』(飛鳥新社、1990年)
- 『「二つの衝撃」と日本――「勝者なき平和」の「新世界秩序」を求めて』(PHP研究所、1991年)
- 「消極的平和主義と積極的平和主義について」の節で、日本が積極的平和主義に転換するべきという主張をしている。
- 『地平線を超えて――インターナショナル・ナショナリストの視点から』(三田出版会、1993年)
- 『21世紀世界への道案内――25の視座から変わりゆく世界を透視する』(三田出版会、1995年)
- 『超近代の衝撃――21世紀世界の力と論理』(東洋経済新報社、1995年)
- 『歴史を読み解く――「ポスト戦争時代」としての現代』(モラロジー研究所、2003年)、ブックレット
- 『新・戦争論――積極的平和主義への提言』(新潮新書、2007年)
訳書
編集- (ジョージタウン戦略研究所編)『ソビエト・マニュアル 上下』(PHP研究所、1984-1985年)
- (ズビグネフ・ブレジンスキー)『大いなる失敗――20世紀における共産主義の誕生と終焉』(飛鳥新社、1990年)
- (ヒュー・ディ・サンティス)『進歩を超えて――相互主義論序説』(文藝春秋、1997年)
監修書
編集- (日本国際フォーラム)『日本のアイデンティティ――西洋でも東洋でもない日本』(フォレスト出版、1999年)
- (日本国際フォーラム)『21世紀日本の大戦略――島国から海洋国家へ』(フォレスト出版、2000年)
- (日本国際フォーラム)『現代予防外交論――冷戦後世界のキーワード』(フォレスト出版、2000年)
- (日本国際フォーラム)『海洋国家日本の構想――世界秩序と地域秩序』(フォレスト出版、2001年)
- (田中明彦)『東アジア共同体と日本の針路』(日本放送出版協会、2005年)
- (東アジア共同体評議会)『東アジア共同体白書2010』(たちばな出版、2010年)
論考
編集- 「米国主導世界秩序の戦略論的考察」(年報戦略研究1<戦略とは何か>、戦略研究学会、芙蓉書房出版、2003年12月)
メディア出演
編集関連項目
編集出典
編集- ^ “日本国際フォーラム 評議員・役員等”. 日本国際フォーラム. 2015年8月29日閲覧。
- ^ “役員名簿(平成22年8月1日現在)”. 日本会議. 2010年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月10日閲覧。
- ^ “WSD役員紹介”. WSD世界開発協力機構. 2015年8月29日閲覧。
- ^ 新自由クラブの人物. Weblio辞書. 2021年8月5日閲覧。
- ^ 青山国際政経論集 第70号 伊藤憲一教授退任記念号 青山学院大学国際政治経済学会 青山学院大学
- ^ 伊藤 憲一 (Kenichi Ito) - マイポータル researchmap
- ^ a b 伊藤憲一|研究員 - 日本国際フォーラム
- ^ 第1回世界オピニオンリーダーズサミット
- ^ 第3回世界オピニオンリーダーズサミット
- ^ 第2回世界オピニオンリーダーズサミット
- ^ “年表”. 公益財団法人日本国際フォーラム. 2018年10月2日閲覧。
- ^ “沿革”. 特定非営利活動法人日本紛争予防センター. 2018年10月2日閲覧。
- ^ “会報第94号”. 公益財団法人日本国際フォーラム. 2018年10月2日閲覧。
- ^ “伊藤憲一氏死去(日本国際フォーラム代表理事・会長):時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年3月26日閲覧。
- ^ 日本記者クラブ会報 第171号8頁 1984年5月10日発行
|
|
|