伊藤忍 (陸軍軍人)
伊藤 忍(いとう しのぶ、1894年(明治27)3月15日[1] - 1995年(平成7年)11月17日[2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍運輸部内で上陸作戦の専門家として認められた人物[3]。
生誕 |
1894年3月15日 日本 宮城県仙台市 |
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死没 | 1995年11月17日(101歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1915 - |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集宮城県仙台市出身。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業[1][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第49連隊付となる[4][5]。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業し、参謀本部外国戦史課などで勤務した[1][6][7]。
1937年(昭和12年)8月、近衛師団参謀に就任[6]。1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に進級し、同年7月、第17師団参謀長に転じ日中戦争に出征[1][6]。宜昌作戦などに参戦した[1]。1940年(昭和15年)8月、第14師団司令部付となり満州に赴任[6]。同年9月、歩兵第66連隊長に就任し帰国した[1][6]。
1941年(昭和16年)7月、船舶輸送司令部隷下の第1揚陸団長に転じ、同年8月、陸軍少将に昇進し太平洋戦争を迎えた[1][6]。伊藤は上陸作戦の専門家の一人とされ、第14軍指揮下で比島作戦に参加[3]。第1揚陸団の一部はコレヒドール島攻略に当たり、本隊は第16軍の指揮下に入り蘭印作戦に従事した[3]。
1942年(昭和17年)8月、第1揚陸団が第1船舶団に改編され、引き続き団長を務めた[1][6]。ケ号作戦に従事。1943年(昭和18年)2月、船舶練習部付となり、船舶司令部付を経て、1944年(昭和19年)2月、第2船舶輸送司令官に就任[1][6]。1945年(昭和20年)4月、陸軍中将に進んだ[1][6]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[8]。