伊藤富雄
日本の政治家、郷土史家
長野県諏訪郡中洲村(現・諏訪市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を中退。
農業に従事し、1941年中洲村産業組合(現・JA信州諏訪)組合長となる。1945年には中洲村長を兼務した。
1947年、日本社会党長野県連委員長となり、林虎雄知事のもとで副知事を務めた。しかし1948年、アメリカ占領軍軍政部長野県施政官と衝突し、副知事を辞任する。
1949年、第24回衆議院議員総選挙に日本共産党所属で立候補するも落選[1]。その後、諏訪神社の歴史など郷土史を研究した。
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 |