伊藤勘助
伊藤 勘助(いとう かんすけ、1883年(明治16年)4月23日[1] - 1966年(昭和41年)2月12日[2])は、明治から昭和時代前期の官僚、政治家、実業家。仙台鉄道局長、宇部市長、山陽急行バス社長、山口県公安委員長[2]。
経歴・人物
編集山口県大島郡久賀町(現・周防大島町久賀)出身[1]。伊藤祥助の弟として生まれ、1921年(大正10年)分家する[3]。1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、鉄道院に出仕[1]。1911年(明治44年)同院副参事、ついで参事書記官を経て、1927年(昭和2年)仙台鉄道局長に就任[1][3]。
1931年(昭和6年)7月に官界を去り、民間に転じ、精養軒社長、宮城電燈顧問などを歴任する[1]。1938年(昭和13年)7月30日、推挙され、第7代山口県宇部市長に就任し[1]、続いて第8代市長を1946年(昭和21年)1月21日まで務めた[4]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 帝国自治協会 著『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。