伊東 長之(いとう ながゆき)は、江戸時代後期の備中国岡田藩の世嗣。通称は外記、主税。

 
伊東長之
時代 江戸時代後期
生誕 文化元年10月24日1804年11月25日[1]
死没 文久4年1月11日1864年2月18日
改名 長守(初名)、長之
別名 外記、主税(通称)
備中岡田藩世嗣
氏族 伊東氏
父母 伊東長寛
兄弟 長貴長禎天野富之長之長道
長生長世高明
松平忠武
テンプレートを表示

略歴

編集

8代藩主・伊東長寛の十一男として誕生。初名は長守。子に松平忠武らあり。

天保元年(1830年)8月、兄で岡田藩世嗣だった長禎が早世したため嫡子となる。しかし、病弱を理由として天保15年(1844年)8月4日に廃嫡された。代わって、長禎の長男で甥にあたる長裕が嫡子となった。

文久4年(1864年)に61歳で死去した。

脚注

編集
  1. ^ 『岡山県通史 下編』(岡山県通史刊行会、1962年)p.334