伊東祐丕
伊東 祐丕(いとう すけひろ)は、江戸時代後期の大名。日向国飫肥藩の第12代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政9年閏7月15日(1797年9月5日) |
死没 | 文化11年8月14日(1814年9月27日) |
戒名 | 玄徳院三要宗心 |
官位 | 従五位下修理大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 日向飫肥藩主 |
氏族 | 日向伊東氏 |
父母 | 父:伊東祐鐘、母:不詳 |
兄弟 | 祐民、祐丕 |
子 | 養子:祐相 |
略歴
編集第10代藩主・伊東祐鐘の次男として誕生。文化9年(1812年)6月29日、兄で先代藩主・祐民が死去した際に嗣子がなかったため(懐妊中の正室はいた)、その養嗣子となって家督を継いだ。しかし2年後の文化11年(1814年)8月14日、18歳で死去した。
祐丕には嗣子は無く、祐民死後に祐民の正室が生んだ長男・祐相が3歳になっており、養嗣子として家督を継いだ。
系譜
編集父母
養子