伊東信直

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将

伊東 信直(いとう のぶなお)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将豊臣氏、後に徳川氏の家臣。諱は治時とも。

 
伊東信直
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 生年不詳
死没 没年不詳
別名 治時、通称:掃部助
主君 豊臣秀吉秀頼徳川家康
氏族 美濃伊東氏
父母 父:伊東祐時
養子:治明
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略歴

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伊東祐時の子として生まれる。慶長の初め頃に家督を継いだ[1]

慶長3年(1598年)8月、秀吉の死に際して遺物信国の刀を受領[1]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属したため戦後に減封されるが、改易は免れた[1]

慶長15年(1610年)1月、関東に出向いて年賀の使節を務めたが、間もなく徳川家康に仕えて1,500石を与えられた[1][2]

慶長年間末期に死去[1][2]。家督は養子の治明が継いだが、元和2年(1616年12月12日別所友治と諍いを起こし横死したため、家名は断絶した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 高柳 & 松平 1981, p. 23.
  2. ^ a b 阿部 & 西村 1990, p. 109.

参考文献

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  • 高柳光寿; 松平年一『戦国人名辞典』吉川弘文館、1981年、23頁。 
  • 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、109頁。ISBN 978-4404017529