伊号第四十二潜水艦

日本の一等潜水艦

伊号第四十二潜水艦(いごうだいよんじゅうにせんすいかん、旧字体:伊號第四十二潜水艦)は、大日本帝国海軍伊四十型潜水艦の3番艦。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十五型潜水艦の23番艦[1]

艦歴
計画 昭和17年度計画(マル急計画
起工 1942年3月18日
進水 1942年11月10日
竣工 1943年11月3日
その後 1944年3月23日戦没
除籍 1944年4月30日
性能諸元
排水量 基準排水量:2,230t(水上)/3,700t(水中)
常備排水量:2,624t
全長 108.7m
全幅 9.3m
吃水 5.2m
機関 艦本式一号十型複動ディーゼル機関×2(2軸、水上11,000HP、水中2,000HP)
最大速 23.5ノット(水上)/8ノット(水中)
航続距離 16ノットで14,000海里(水上)/3ノット96海里(水中)
兵員 約94名
兵装 40口径14cm単装砲1基
25mm単装機銃1基
53cm魚雷発射管6基
魚雷17本

戦歴

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1941年昭和16年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、呉海軍工廠1942年3月18日起工、1942年11月10日進水、1943年11月3日に竣工した。横須賀鎮守府籍となり、訓練部隊の第一艦隊第11潜水戦隊に編入された。

25日、第11潜水戦隊は第六艦隊に移籍。

1944年(昭和19年)1月31日、伊42は第15潜水隊に編入される。

1944年2月12日、伊42は横須賀を出港し、トラック島北東方面に進出するも、戦果のないまま3月3日にサイパンに帰投。その後トラックに向かい、7日に到着した。

15日、伊42は輸送任務に参加するべくトラックを出港。19日にパラオに入港して輸送人員等を搭載した後、3月23日ラバウルに向け出港。出港当日の2129、ラバウルへ向けて18ノットで浮上航走中、アメリカ海軍潜水艦タニー(USS Tunny, SS-282)にレーダーで発見される。タニーはジグザグ航行中の伊42を追跡しながら、徐々に自艦に有利な体勢に持ち込んだ。2324、タニーは1,700メートルの距離から伊42へ向けて魚雷を4本発射し、潜航を始めた。タニーのハッチが閉じられる前に、魚雷2本が命中する音が響き、伊42が閃光を発したのを確認した。閃光は司令塔の中にまで差し込み、乗員の中には「反撃を食らった」と錯覚した者もいた。タニーは46メートルの深度まで潜航して様子をうかがうと、伊42の推進器音が止み、それから伊42が沈没する音が1時間にわたって聴取された。艦長の小川綱嘉中佐以下乗員102名全員戦死。沈没地点はアンガウル島南西6浬地点付近、北緯06度40分 東経134度03分 / 北緯6.667度 東経134.050度 / 6.667; 134.050

4月27日アドミラルティ諸島方面にて沈没と認定され、4月30日除籍。

年表

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  • 1939年計画。
  • 1943年11月3日 - 竣工
    • 11月3日 - 呉工廠にて竣工、横須賀鎮守府に編入。
  • 1944年1月31日 - 第6艦隊第15潜水隊に編入。
    • 2月12日 - 横須賀を出港し東カロリン方面にて索敵任務に従事。
    • 3月23日 - パラオ出港。米海軍潜水艦タニーの雷撃を受け沈没。
    • 4月30日 - 除籍。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』413-414頁による。

艤装員長

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  1. 小川綱嘉 中佐:1943年7月27日 -

艦長

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  1. 小川綱嘉 中佐:1943年11月3日 - 1944年3月23日戦死

参考文献

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  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9

脚注

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  1. ^ 昭和17年8月20日 海軍内令 第1554号。「昭和17年7月~9月 内令 3巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070164600